生死観(来世観)なき時代 anchor.png

テレビ等の報道を見ていると、「人の命も邪魔になれば物を扱うように始末される・・・」そんな、世の中となってしまいました。あくまでも他人事、テレビの向こう側の話であって欲しいと願う限りです。

敗戦の痛手から先人達のたゆまぬ努力で立ち直り、今では手に入らない物が無いほどに豊な時代を手にいれた我々です。こんな豊な時代なのに、何故、ここに来て次々と人と人の信頼を断ち切るようなことばかり、起きてしまうのでしょう。

「物質的な豊かさと引き換えに、心の豊かさや、人への思いというものを失って来た」と良く言われるところです。心の豊かさを心の平安と考えるならば、物があふれても平安を得られないのであれば、戦後60数年、先人達は何のために努力を積み重ねてきたのか。疑問に感じてしまいます。

ある調査によれば中学生の2割近くが「人は死んでも、(お呪いか何かすれば)生き返る」と思っているとか。怪奇映画の影響か、テレビゲームのやり過ぎで、現実と虚構の判断があやふやになっているのでしょうか。誰の身にも必ず何時かは訪れる「死」というものに現実感や恐れを持てないで居ます。(多分、残りの8割近くはまったく無に帰すと考えているのでしょう?)

中学生の事ばかり悪くは言えません。大の大人にしても事の良し悪しの判断が出来ない人で溢れています。立て続けに起きている汚職や偽装の問題然り、自分自身の些細な欲望や怒りを満たすために、何の躊躇も無く釣合わない程の重い罪を平気で犯してしまう。一時的な欲や怒りに取り付かれて、何も見えなくなってしまうのでしょうか?

今の時代我々を含めて、年代が若くなるに従って、生死観(来世観・他界観)と言う考えが根付いてないように思えます。根付いてないからこそ「生き返る」と答える中学生
も居るのでしょう。

人は何故生まれ、この人生をどう行き、そして死を迎えた後はどうなるのか・・・。人類の永遠の命題でしょうが、最近はめっきり考える機会も減ってしまっているようです。それよりも、「一度限りの人生なのだから、今を楽しまないと・・・」の方が重大問題です。

今更、「悪いことをすると地獄に落ちて、閻魔様に舌を抜かれる・・・」とは、言いませんが生死観と言うものは人の人生をどのように生きるか左右する大きな基盤であるように思えます。

例は良くないかもしれませんが、イスラム教国の中には、「ジハード(聖戦)」の名の下に我が身に爆弾をくくりつけての自爆テロが繰り返されています。その行動を後支えしているのは、「聖戦に身を投じたものは、神の国に生まれる」という生死観であり、他界観です。現実に失望した人々は「神の国に生まれる」ことを願って体に爆弾を抱く訳です。考えて見れば、日本でも戦時中は、戦争で命を落としても英霊として祭られる事を前提にして、人々を敵に向かわせていました。

自爆テロや捨て身の特攻精神を賛美するつもりは在りませんが、このような行為を支えていたのも独特の生死観であることは間違いないと思えます。生死観というものは、導き方を誤れば、人を死をも恐れぬ方向に導くことも出来てしまうほど、大きな力を有しているのです。

この大きな力を有している筈の生死観が年代が若くなればなる程に、空白に近くなっているのが今の現実です。

後を絶たない学生の自殺の事など考えると、元々生死観が空白なのですから、自分の死に対して余り恐怖を感じないでしょうし、自分以上に他者の死に対しても恐れを感じていないでしょう。だからこそ人の命を奪っておきながら「人を殺す経験をして見たかった」とか、殺してしまった相手に「会って誤りたい」という言葉を口にする若者も現に居るわけです。とても、普通の精神状態とは思えません。

生死観の欠如ばかりがその原因とは言いませんが、若し生死観の空白や、「死んでも生き返る」と言うような荒唐無稽な生死観が、こんな傾向の子供たちを増やすことを助長しているのならば、末恐ろしい限りです。

日本に古くから伝わっていた魂の輪廻を中心とした生死観は単なる生死観というだけではなく、善を良く伸ばし、悪を抑制する機能も果たして来ました。

本来ならば、我々大人世代が先人達の流れを受け継ぎ、言葉だけではなく生活の中で信仰心や生死観を次代に引き継がせる重要な役割を担っていた筈です。

しかし、我々は折角、縁有って得難い人身を得ながらも、そんなことすら忘れ、「生活のため」とか言い訳しながら、ひたすらに自らの欲望を満たす為だけに、その一生を使い切っているのが現実です。どこかで我々自身も軌道を修正しなければなりません。

科学万能の世の中で、今さら魂云々・・・なんて、迷信臭いことかも知れませんが、魂の輪廻転生を軸とした日本に以前在った生死観を、我々は今一度、思い出さねばならないように思えます。
我々の先人達が悠久の時代を重ねて形作ってきた、日本社会・文化・伝統などというものはすべて、源を遡れば「魂と共に有る生」にたどり着くように思えます。日本社会が混沌とした現状にあるのは、「魂なき生」が当たり前になっているからかもしれません。

生死観が空白に近い若い世代に今一度しっかりとした生死観を根付かせる種を蒔く、今生の生が如何に意味有るものか伝えるのは、おぼろげながら昔からの生死観を記憶している我々大人世代の重要な役割ではないかと思います。


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Princeps date: 2008-06-05 (Thu) 20:16:28
Last-modified: 2008-06-05 (Thu) 20:18:09 (JST) (4186d) by admin