平成版「法雲寺縁起」の刊行について
当縁起は、法雲寺前住職である十九代廣昭が米寿記念として、平成26年秋から27年師走まで取り組んできたものですが、この縁起が刊行する2週間前に著者である前住職は急逝し、残念ながら本人はこの本を手にすることは出来ませんでした。
此の程、前住職満中陰も済み関係諸氏へ遺著となった当縁起のお配りも出来ましたので、残数の200冊ほどはご希望の方にお分けさせていただけます。(要協力金2000円)
お寺の縁起と言うと固苦しそうですが、当縁起は物語調で比較的読みやすい文章となっており、時間潰しの読み物としても気軽に読んで頂けるのでは無いかと思います。
法雲寺と村岡
江戸時代の初め寛永19年(1641)、村岡山名三代矩豊(のりとよ)公は藩都を旧来の福岡(香美町村岡区福岡)から村岡へと移す事業に取りかかります。それまで荒れた川原場の小集落に過ぎなかった村岡の地に、護岸を巡らせ新しい町を形作っていきます。
陣屋と藩公菩提寺を結ぶ筋を「縦の中心線」とし、東西に通る山陰道を「横の中心線」として、城下街の作法に則った街造りを進めました。その意味では、陣屋と藩公菩提寺は城下街村岡・寛永時代のニュータウン村岡の基点とも言えます。
不明点その1
一つは江戸時代に藩公菩提寺に定められた法雲寺ですが、それ以前の前身について、何と言うお寺で、何処にあったのか?が今一つはっきりとしていませんでした。(戦中まであった古い梵鐘の銘文に「以前は臨済の禅苑」と彫られていたのが、唯一の手がかり)
不明点その2
もう一つは、法雲寺を藩公菩提寺に定めた矩豊公は自他共に認める熱心な法華経信者であったのにも関わらず、公の晩年にあっさりと日蓮宗から天台宗に宗旨替えをし、それに伴い法雲寺も日蓮宗から天台宗に改宗させられました。
これについては、老境に入った矩豊公の「宗教的心情の変化」とか、将軍お側役の立場上からの「政治的判断」とか、歴代の住職は思い思いに語って来ました。
それが縁有って、法雲寺と同時期に日蓮宗から天台宗に改宗させられた御寺院(碑文谷・円融寺)から、寺史資料のご提供を受け、改宗にまつわる経緯が大分明らかとなりました。それを検証する為に前住職が、旧来からの七美郡関係の郷土史料を宗教(政策)面中心に整理を進めていくと、自ずと法雲寺の前身像も輪郭が見えて来た訳です。
前住職はこれを期として、法雲寺の成り立ちから、今現在に至るまでの大まかな流れを―平成版―「法雲寺縁起」としてまとめる事を決意したようです。
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