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修羅世界の如く anchor.png

あいも変わらず世間は修羅世界を目指すが如く突き進んでいるように見えます。
今や親が子を・・・子が親を手に掛けるような事件が後を絶ちません。その報道を見聞きする我々も「またか!」と思う程度ですっかり慣れ切ってしまいました。
高名な先生方は今日のような状況に至ったことを、ご自分の専門分野の知識で説明されますが、どれもサラッと表面を撫でた程度のことで、得心の行くお話しは余り聞けません。これだけ日本全般に渡って世情が乱れきっていることを考えると、現在の日本社会に何らかの欠陥か欠落している部分が有るのではないかと思えます。

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一度限りの人生 anchor.png

どうせ一度限りの人生ならば、誰しも苦しい事・辛い事は他人に押し付けて、自分は面白可笑しく過ごしたいもの。
誰もが同じように、目先の損得に操られ欲求のまま走れば、人々の本音と本音がゴツゴツとぶつかり合う世の中になってしまっても当然です。その行き過ぎた例が、自分の楽しみの邪魔をするものは、例え親でも・子でも排除しようとする発想に至ってしまうのかも知れません。

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人身の得がたさ anchor.png

この半世紀ばかりの間、家庭や学校等で、日本人が昔から受け継いできた「生死観」や「魂」について活発に語られ、そこから見える「命」や「人生」についての伝承や教育が為されてきたかは、大きな疑問です。「悪いことをしたら地獄に落ちる」とか言う極端な事ではなくて、幸いにして授かった人身の得難さが分からぬまま、「自由」や「権利」や、それに「お金儲けの方法」を只単に授けても、ブレーキの壊れた自動車と同じで、事故に遭遇する事は必至です。

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魂は何処に anchor.png

古来より洋の東西を問わず、死後の世界の問題は問われ続けてきました。
死を経験された方に聞けば済むことですが、経験者は全て墓石の下ですから確かめようがありません。
昔から人々は、体と魂が混然一体となっている状態を「生きている」状態、体の機能が停止し、魂が体から離れた状態を「死」と考えてきました。魂と聞くとそれだけで薄気味悪い印象を受けますが、先ほどの考えに従えば、我々生きているもの誰もが魂を体内に有している訳です。そう考えると、魂というのもは、我々の意識や精神の原動力なのかも知れませんし、「気」のような存在かもしれませんので、そんなに薄気味悪いものでもないと思えます。誰しも、一度ぐらいは自分が死んだ時に「自分の意識はどうなってしまうのだろう?」と思い巡らせた事は有るかと思います。・・・そんな人類共通の死後の意識に対する不安から、求め着いたのが「魂」という考え方かと思います。

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来世観は道徳の基礎? anchor.png

日本的な魂の行方ですが、一般的には六道輪廻するものと思われていました。死を迎えた魂は「あの世」に旅立ち、再び「この世」に新しい命を受けて生まれ出るのを待ちます。「この世」に再び生まれ出るまでの待ち時間が短いとか、人間として生まれ出るか、他の生き物になるかは、故人が「この世」で積み重ねた業によって定まると考えてきました。それ故、昔の人々は、自らの行動に対しては、自分自身が責任を持たねばならないと、強く意識していたと言えます。確かに、この世限りで後は無しの方が簡単で良いのかも知れませんが、余りにも寂しい気もしますし、命に対する有り難味も有りません。

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自分という存在 anchor.png

今や単なる連休程度となったお盆も、その昔には亡き祖先の魂の行く末を思い、自分自身の行く末を思う大切な期間でした。
どうか、お盆にはご先祖のお墓を手間をかけてきれいに掃除してあげて下さい。もの言わぬご先祖と対話して見てください。忙しい日常の中、忘れていた感覚が蘇るかもしれません。


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初版日時: 2008-10-28 (火) 20:22:43
最終更新: 2008-10-28 (火) 20:22:43 (JST) (3310d) by admin