書き下し
按ずるに創建不詳と雖も天文年間、山本勘助晴幸武者修行中の工造と云う、或いは左甚五郎の工造とも古老の口碑あれども証拠とする處なし。また、或る説に葛畑村字神場の観音堂と同人の工造なりと云い伝う。
天正五年丑十月織田殿の隊長羽柴筑州、攻人諸方の寺々仏堂宇等悉く焼き拂わるると聞き及び、此の噂に村民共大いに驚き、村中総掛りにて取壊し、宮の奥谷に隠せしが、程なく僅かの勢にて来たりしを見れば羽柴殿には之れ無く、藤堂與右衛門、宮部善祥坊しばらく二百余騎の勢にて攻入れども堂は事無く、茲に因り元に如く建てる事能わずして、今に悉く堂の柱に穴ありと云う。
大意
山本勘助、左甚五郎等の作という口伝えがあるが、証拠となるものは無い。
羽柴筑前守の但馬・中国攻めの際に、寺社等を焼き払うとの噂を信じて、村人がお堂を解体し隠したが、焼き払うようなことはされなかったので、その後、再び組み直したが元のようには上手く再建できなかった。柱に穴があるのはその為だ。
Attach file:




Page Info | |
---|---|
Page Name : | 歴史沿革/報恩寺 |
Page aliases : | None |
Page owner : | admin |
Can Read | |
Groups : | All visitors |
Users : | All visitors |
Can Edit | |
Groups : | No one |
Users : | No one |
Counter: 4524,
today: 1,
yesterday: 0
Princeps date: 2008-05-27 (Tue) 15:50:05
Last-modified: 2009-06-04 (Thu) 22:05:17 (JST) (5737d) by admin