3: 2009-09-09 (水) 11:37:13 admin ソース 現: 2009-09-11 (金) 09:54:41 admin ソース
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RIGHT:''中島憲仁'' RIGHT:''中島憲仁''
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-|=&ref(ID$me71715d);&br;やまんどさんの小祠|+|=&ref(yamando-1.jpg,mw:240);&br;やまんどさんの小祠|
憶えば昨年(平成一年)の第四回総会終了直前のことである。生野大明寺での記念撮影がすんだ時、今は亡き太田垣理事長がこんなことを私に問いかけられた。 憶えば昨年(平成一年)の第四回総会終了直前のことである。生野大明寺での記念撮影がすんだ時、今は亡き太田垣理事長がこんなことを私に問いかけられた。
「二十年も前のことだが……」と前置きされた話を要約すると、鳥取の山奥に「やまんどさん」と呼ばれる祠があり、そこには、「施主山名時氏」と刻んだ線香台があったそうで、その曰く因縁を、私に調べてくれないかとおっしゃるのである。 「二十年も前のことだが……」と前置きされた話を要約すると、鳥取の山奥に「やまんどさん」と呼ばれる祠があり、そこには、「施主山名時氏」と刻んだ線香台があったそうで、その曰く因縁を、私に調べてくれないかとおっしゃるのである。
私の地元鳥取県内のことではあるが、正直いって私も初耳のことであった。しかし、時氏公の遺物があるとすれば何はさておき調べずばなるまい。翌日現地探訪に同行することを約してこの日は別れた。 私の地元鳥取県内のことではあるが、正直いって私も初耳のことであった。しかし、時氏公の遺物があるとすれば何はさておき調べずばなるまい。翌日現地探訪に同行することを約してこの日は別れた。
-|=&ref(ID$z488dbb5);&br;時氏公銘の線香たて|+|=&ref(yamando-2.jpg,mw:240);&br;時氏公銘の線香たて|
翌日、車を駆って、佐治村大井の昌福寺さんを訪ねた。佐治村といえば、流し雛で知られる用瀬(もちがせ)の支流四粁のところで、ここは山奥ながら因州和紙の産地として知られている。 翌日、車を駆って、佐治村大井の昌福寺さんを訪ねた。佐治村といえば、流し雛で知られる用瀬(もちがせ)の支流四粁のところで、ここは山奥ながら因州和紙の産地として知られている。
方丈さんの説明によると、この寺はもともと対岸の古市にあったもので、そこの境内に「やまんどさん」が祠られているが、後に火災に会ったので、小祠と五輪塔群を残したまま、寺だけ現在地へ移転したとか。 方丈さんの説明によると、この寺はもともと対岸の古市にあったもので、そこの境内に「やまんどさん」が祠られているが、後に火災に会ったので、小祠と五輪塔群を残したまま、寺だけ現在地へ移転したとか。
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以上、「佐治のやまんどさん」をよりどころとして、山名赤松両氏の交渉のあとをなぞってみた。はたして、太田垣理事長の付託にこたえることができただろうか。ともあれご冥福を祈るものである。 以上、「佐治のやまんどさん」をよりどころとして、山名赤松両氏の交渉のあとをなぞってみた。はたして、太田垣理事長の付託にこたえることができただろうか。ともあれご冥福を祈るものである。
-|=&ref(ID$l9abbb9a);&br;五輪等群1|+|=&ref(yamando-3.jpg,mw:240);&br;五輪等群1|
-|=&ref(ID$neb7f338);&br;五輪等群2|+|=&ref(yamando-4.jpg,mw:240);&br;五輪等群2|
#navi(寺報・書籍/山名赤松研究ノート/1号) #navi(寺報・書籍/山名赤松研究ノート/1号)


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