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歴史沿革​/報恩寺 のバックアップの現在との差分(No.7) :: 東林山法雲寺のホームページ

xpwiki:歴史沿革/報恩寺 のバックアップの現在との差分(No.7)

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7: 2008-12-22 (月) 16:00:11 admin[5] ソース[6] 現: 2009-06-04 (木) 22:05:17 admin[5] ソース[7]
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**確たる証拠は無いのですが・・・ [#yd3cddc2] **確たる証拠は無いのですが・・・ [#yd3cddc2]
-幻の寺といわれた報恩寺は、南北朝時代は花園・妙心寺末の政所。 -幻の寺といわれた報恩寺は、南北朝時代は花園・妙心寺末の政所。
--村岡山名初代・豊国公(禅高)の墓所があり、江戸時代、山名家の京都屋敷の役目を担ったのが、妙心寺塔中の東林院。+-村岡山名初代・豊国公(禅高)の墓所があり、江戸時代、山名家の京都屋敷の役目を担ったのが、妙心寺塔頭の東林院。
-3代矩豊公が法雲寺に宛てた文書には、「山号は東林山に改めるが、寺名を改めず・・・」とある。(ほうおんじ→ほううんじ?) -3代矩豊公が法雲寺に宛てた文書には、「山号は東林山に改めるが、寺名を改めず・・・」とある。(ほうおんじ→ほううんじ?)
-法雲寺の本尊は天台宗では珍しく「禅定の釈迦」(禅宗に多い) -法雲寺の本尊は天台宗では珍しく「禅定の釈迦」(禅宗に多い)
山名家と妙心寺の深い繋がりが見て取れます。それ故、江戸時代、領地内の妙心寺所縁の寺を菩提寺と定め、その後藩主の信仰する宗派に改宗させたことも有っても不思議ではないかと思えます。 山名家と妙心寺の深い繋がりが見て取れます。それ故、江戸時代、領地内の妙心寺所縁の寺を菩提寺と定め、その後藩主の信仰する宗派に改宗させたことも有っても不思議ではないかと思えます。
 +**所在地を確認 [#uc132d61]
 +[[http://maps.google.co.jp/maps/ms?ie=UTF8&hl=ja&msa=0&msid=104604029298365570470.00000113339b24828c45b&ll=35.466507,134.606702&spn=0.009262,0.022745&z=16]]
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