8: 2008-06-19 (木) 20:52:25 admin[6] [7] | 現: 2012-06-29 (金) 11:09:48 admin[6] [8] | ||
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* 寺号の由来 [#z46acbfe] | * 寺号の由来 [#z46acbfe] | ||
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東林山 養安院 法雲寺(とうりんざん ようあんいん ほううんじ)の名称の由来は記録によると「法雲寺」という名前は村岡山名代三代・山名伊豆守矩豊公が寛永 19年(1642)に村岡に入部された折に、在郷の禅院を山名家の菩提寺 と定め、命名したものです。 | 東林山 養安院 法雲寺(とうりんざん ようあんいん ほううんじ)の名称の由来は記録によると「法雲寺」という名前は村岡山名代三代・山名伊豆守矩豊公が寛永 19年(1642)に村岡に入部された折に、在郷の禅院を山名家の菩提寺 と定め、命名したものです。 | ||
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*「日蓮宗」から「天台宗」に改宗 [#hdddb37c] | *「日蓮宗」から「天台宗」に改宗 [#hdddb37c] | ||
- | その当時徳川将軍家は「天台宗」(寛永寺)と「浄土宗」(増上寺)を信仰されており、矩豊公は御伽衆と言う将軍に近しい役職上からの判断も有ってか、その後「日蓮宗」から「天台宗」へと宗派を再び変更され、以来二十代の住職によって現在まで引き継 がれております。 | + | その当時徳川将軍家は「天台宗」(寛永寺)と「浄土宗」(増上寺)を信仰されており、矩豊公は御伽衆と言う将軍に近しい役職上からの判断も有ってか、元禄4年(1691)に「日蓮宗」から「天台宗」へと宗派を再び変更され、以来二十代の住職によって現在まで引き継 がれております。 |
- | ( [[「不受不施派寺請禁止令」:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E8%93%AE%E5%AE%97%E4%B8%8D%E5%8F%97%E4%B8%8D%E6%96%BD%E6%B4%BE]]と関連があるかも知れない) | + | ( [[「不受不施派寺請禁止令」:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E5%8F%97%E4%B8%8D%E6%96%BD%E6%B4%BE]]と関連があるかも知れない) |
*歴代藩主御廟・山名氏史料館「山名蔵」 [#w668630d] | *歴代藩主御廟・山名氏史料館「山名蔵」 [#w668630d] | ||
山内の御霊屋(おたまや)には山名氏太祖・義範公(新田義範)以後の各当主の位牌も奉安し、村岡陣屋跡には歴代村岡山名藩主の御廟があり、大名格式の名残を今に伝えています。境内の山名氏史料館「山名蔵」には山名家伝来の武具・調度品等の史料を展示し、近年では、当町出身の美術蒐集家である濱田叡観師のご協力を仰ぎ、山名家所縁の史料充実及び、中国陶器を中心とした師の貴重なコレクションの一部を「濱田記念室」として整備し展観しています。 | 山内の御霊屋(おたまや)には山名氏太祖・義範公(新田義範)以後の各当主の位牌も奉安し、村岡陣屋跡には歴代村岡山名藩主の御廟があり、大名格式の名残を今に伝えています。境内の山名氏史料館「山名蔵」には山名家伝来の武具・調度品等の史料を展示し、近年では、当町出身の美術蒐集家である濱田叡観師のご協力を仰ぎ、山名家所縁の史料充実及び、中国陶器を中心とした師の貴重なコレクションの一部を「濱田記念室」として整備し展観しています。 | ||
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