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Backup diff of 寺報・書籍​/山名赤松研究ノート​/1号​/山名・赤松両氏の黄昏 vs current(No. 3) :: 東林山法雲寺のホームページ

Backup diff of xpwiki:寺報・書籍/山名赤松研究ノート/1号/山名・赤松両氏の黄昏 vs current(No. 3)

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3: 2009-09-13 (Sun) 20:03:17 admin[6] source[7] Cur: 2010-02-20 (Sat) 13:30:25 admin[6] source[8]
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この稿をまとめるために山名赤松両氏の交渉の概略を知ろうと年表(兵庫県史別冊)を繰ってみて、今さらのように無量の感懐を覚えた。 この稿をまとめるために山名赤松両氏の交渉の概略を知ろうと年表(兵庫県史別冊)を繰ってみて、今さらのように無量の感懐を覚えた。
-|○正平九(一五四)年|12南党山名時氏、直冬を擁して、伯耆より但馬を経て播磨に入り、義詮・則祐軍と斑鳩寺付| +|○正平九年&br;(一五四)|12南党山名時氏、直冬を擁して、伯耆より但馬を経て播磨に入り、義詮・則祐軍と斑鳩寺付近で戦う。|
-近で戦う。+
とあるのが山名赤松両氏接触の初見であり、 とあるのが山名赤松両氏接触の初見であり、
-|○大永二(一五二二)年|11但馬守護山名誠豊、赤松家臣の内紛に乗じ播磨に侵入し広峰山に陣をとる。| +|○大永二年&br;(一五二二)|11但馬守護山名誠豊、赤松家臣の内紛に乗じ播磨に侵入し広峰山に陣をとる。| 
-|○大永三(一五二三)年|11山名誠豊、書写山の戦に破れ但馬に退く。|+|○大永三年&br;(一五二三)|11山名誠豊、書写山の戦に破れ但馬に退く。|
の記述が最後であった。その間実に百七十年、兵庫の南北に対峙した竜虎の両雄は攻防に明け暮れるのである。 の記述が最後であった。その間実に百七十年、兵庫の南北に対峙した竜虎の両雄は攻防に明け暮れるのである。
中でも抗争が最高潮に達したのは、所謂「嘉吉の変」による両軍の決戦であろうが、それに続く五十年間もまた、両雄の拮抗と、時代の推移による両軍の内部変化 - 衰運をもたらせたことで重要である。 中でも抗争が最高潮に達したのは、所謂「嘉吉の変」による両軍の決戦であろうが、それに続く五十年間もまた、両雄の拮抗と、時代の推移による両軍の内部変化 - 衰運をもたらせたことで重要である。
-|○文明一(一四六九)年|10東軍の山名是豊、赤松政秀ら、大内政広の軍を兵庫に破り、兵庫を奪還する、その戦功により……赤松政則は播磨・備前・美作の三力国を拝領、兵部少輔に任ぜられる。+|○文明一年&br;(一四六九)|10東軍の山名是豊、赤松政秀ら、大内政広の軍を兵庫に破り、兵庫を奪還する、&br;その戦功により……赤松政則は播磨・備前・美作の三力国を拝領、兵部少輔に任ぜられる。
-|○文明九(一四七七)年|この年赤松政則侍所所司に任ぜられ……| +|○文明九年&br;(一四七七)|この年赤松政則侍所所司に任ぜられ……| 
-|○文明一五(一四八三)年|▽山名政豊、播磨攻略に進発する&br;9備前の松田元成、浦上則国・櫛橋則伊らの拠る備前福岡城を攻囲する。&br;12赤松政則、但馬・播磨の国界真弓峠に山名政豊を迎え撃って大敗し、出奔する。| +|○文明一五年&br;(一四八三)|▽山名政豊、播磨攻略に進発する&br;9備前の松田元成、浦上則国・櫛橋則伊らの拠る備前福岡城を攻囲する。&br;12赤松政則、但馬・播磨の国界真弓峠に山名政豊を迎え撃って大敗し、出奔する。| 
-|○文明一七(一四八五)年|3赤松政則、播磨光明寺に着陣する、ついで山名政豊の武将垣屋孝知らを播磨蔭木城に攻めて陥れる。| +|○文明一七年&br;(一四八五)|3赤松政則、播磨光明寺に着陣する、ついで山名政豊の武将垣屋孝知らを播磨蔭木城に攻めて陥れる。| 
-|○文明一八(一四八六)年|1赤松政則、山名政豊の兵を播磨英賀に破る。&br;4赤松政則、山名政豊の兵を播磨坂本に破る。| +|○文明一八年&br;(一四八六)|1赤松政則、山名政豊の兵を播磨英賀に破る。&br;4赤松政則、山名政豊の兵を播磨坂本に破る。| 
-|○長享一(一四八七)年|3赤松政則、山名政豊の播磨坂本城を陥れる、ついで英賀西・答見山両城を攻略する。| +|○長享一年&br;(一四八七)|3赤松政則、山名政豊の播磨坂本城を陥れる、ついで英賀西・答見山両城を攻略する。| 
-|○長享二(一四八八)年|4赤松政則ふたたび山名政豊を坂本城に攻めて破る。&br;7山名政豊、播磨坂本の陣を撤して但馬に引揚げる。赤松政則、追撃してこれを破り、播磨・備前・美作三力国を回復する。&br;9但馬守護山名敢豊の部将ら政豊を廃し、その子俊豊の擁立をはかる田公某ら政豊を奉じて木崎に拠る。|+|○長享二年&br;(一四八八)|4赤松政則ふたたび山名政豊を坂本城に攻めて破る。&br;7山名政豊、播磨坂本の陣を撤して但馬に引揚げる。赤松政則、追撃してこれを破り、播磨・備前・美作三力国を回復する。&br;9但馬守護山名敢豊の部将ら政豊を廃し、その子俊豊の擁立をはかる田公某ら政豊を奉じて木崎に拠る。|
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