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寺報・書籍​/山名赤松研究ノート​/1号​/歴史は生きている のバックアップ差分(No.7) :: 東林山法雲寺のホームページ

xpwiki:寺報・書籍/山名赤松研究ノート/1号/歴史は生きている のバックアップ差分(No.7)

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6: 2009-07-25 (土) 18:04:44 admin[6] ソース[7] 7: 2009-07-26 (日) 13:05:34 admin[6] ソース[8]
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竹野町の円通寺に葬られている。 竹野町の円通寺に葬られている。
-|&ref(ID$f7506fef);|但馬一の宮「出石神社」日本書記にあるように、新羅皇子「天日槍(あめのひぼこ)」を祭神とする但馬国一の宮。山名氏の信仰も厚く、戦時に際しては「此隅山城」と結んで接点となっていた。| +|=&ref(P20-1.jpg,mw:240);|=&ref(P20-2.jpg,mw:240);
-|&ref(ID$nc4bf7a2);|+|但馬一の宮「出石神社」日本書記にあるように、新羅皇子「天日槍(あめのひぼこ)」を祭神とする但馬国一の宮。山名氏の信仰も厚く、戦時に際しては「此隅山城」と結んで接点となっていた。||
**時義と月庵 [#f0f3f850] **時義と月庵 [#f0f3f850]
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時義とその子「時熈(ときひろ)」は「月庸宗光」に心酔していた。 時義とその子「時熈(ときひろ)」は「月庸宗光」に心酔していた。
月庵が開基したという寺は但馬に三か寺ある。生野町黒川の「大明寺」山東町早田の「大同寺」竹野町須谷の「円通寺」である。 月庵が開基したという寺は但馬に三か寺ある。生野町黒川の「大明寺」山東町早田の「大同寺」竹野町須谷の「円通寺」である。
-|&ref(ID$ne4b60e1);|大明寺の本堂・庫裏など、有名な座禅石は手前中央に見えている。| +|=&ref(P21-1.jpg,mw:240);|=&ref(P21-2.jpg,mw:240);| 
-|&ref(ID$bc49ebba);|座禅石|+|大明寺の本堂・庫裏など、有名な座禅石は手前中央に見えている。|=座禅石|
黒川は、先年関西電力の多々良木揚水発電の上部池ダムが構築されてから、一躍多くの人びとが出入するようになり、あわただしい趣きも見られるようになったが、「幽邃」さながらの土地であり、今もその自然は残っていて十分に当時をうかがうことが出来る。 黒川は、先年関西電力の多々良木揚水発電の上部池ダムが構築されてから、一躍多くの人びとが出入するようになり、あわただしい趣きも見られるようになったが、「幽邃」さながらの土地であり、今もその自然は残っていて十分に当時をうかがうことが出来る。
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