床に見慣れぬ一軸が掛けてある。うずくまった象の背に、遊女風の佳人がふんわりと腰掛けた図柄だ。
「これご法印さんがお越しやゆうんで出しときました」家刀自(いえとじ=ご令室さま)がおっしゃる。さては我が眼力を試す魂胆か?すれば何とか答えずばなるまいが、私のようなお粗末な法印さんでは、もの申そうにも申し上げるものが無い。
困ったことになった。「フン・・・ムン・・・」しばらく感嘆のため息をついておいてから、かく宣うたのである。「こりゃ・・・フゲン・・・そうじゃ。普賢菩薩でなくてはなるまい。普賢・白象、文珠・青獅子言うでのう?。狐・稲荷にお猿・山王ちゅうのもあったナ?」出まかせでお茶を濁そうとしたのですが、いけません。
「なんで仏さんがこんな格好をしてはるんです?」我が宗のよりどころとする法華経普賢菩薩勧発品に「尓時乗六牙白象王・・・」とあったが、遊女とのつながりなどあろうはずが無い。「それはソノウ・・・アノウ・・・」家刀自は私の狼狽振りに憐愍(れんみん)の情を催されたようだ。「宿題にしときまひょ」
西の比叡山と言われる播州・書写山のご開山・性空上人にこんな話がある。
上人と言えば花山法王の信任厚く、二度までも鳳輦を進められたということからして、一世の名僧であったろうが、一面九八年の生涯を法華経信奉に徹てっせられたお方でもあった。
その上人が法華経行者の守本尊である普賢菩薩の現身を拝みたいと、山の法華堂の菩薩に起請されたという。ある夜の夢にこんなお告げがあった。
「我が身を見たければ、周防(すおう)の国、室津の港に行き、高麗女という遊君を訪ねるが良い」「はてさて?、いくら何でも墨染の身で姫買いとは・・・」殺生なと首をかしげつつ、播磨から備前・備後・安芸と周防まで数カ国の船寝を重ねられた。
正に『一心欲見仏 不自惜身命』(一心に仏を見ることを欲し、自らの命を惜しまず)である。折しも遊君は飄客(ひょうきゃく)と酒宴のさなかであって、臈(ろう)たけた風姿を揺るがせて歌い、かつ舞っていた。
周防(すおう)ムロツノ中ナルミタライニ、風ハフカネドモ、ササラ波タツ 物かげから凝視する上人を知って知らでか、歌舞は繰り返される。その美形と妙音に上人は思わず目を閉じられた。と眼裡の美女はたちまち山の法華堂の普賢菩 薩のお姿となり、歌う歌の言葉までが、
法性(ほっしょう)無漏(むろ)ノ大海ニ、五塵六欲ノ風ハフカネドモ 隨縁真如ノ波タタヌ日ゾナキ と聞こえたのである。ここのところを「上人伝」にはこう書かれている。
上人目ヲ開キ之ヲ見レバ女人ナリ。目ヲ閉ジテ之ヲ観ゼレバ普賢ナリ、奇異ノ想イヲナシテ去ル
この説話が巷間に広まって近世、絵師の格好の画材となったと思うが、どうであろうか。とまれ、私なりに宿題の答案を書き上げたとき、かの家刀自は身まかられて既に三十五日、私は寂び寂びと、ご霊前に普賢菩薩品を読誦したのであ った。
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