(7)本堂再建
宝暦十年(一七六〇)、時の住職泰侃法印の発願で、自分普請として本堂を再建されました。それまでの建物は、臨済宗時代に建てられたもので、日蓮宗時代に今の地に移されて百余年、きっと建造物の老朽化が目立ってきたのでしょう。住職の泰侃法印は当然藩当局に申し出たはずですが、藩財政に法雲寺再建の費用を負担する余裕が無く、「暫く待て」「もう少し待て」逃げ口上ばかり聞かされる始末、たまりかねた泰侃法印は、「では、野衲めが願主となりまして、何とか資金を募り法雲寺再建を果たしてみましょうぞ」
法印自身に財力がある訳はありません。実家が分限者でもないでしょう。無い無いづくしの中で有るのはただ一つ、「このご本尊様をお守りする為に私めは生かされているのだ」という強烈な使命感だけです。その熱誠がやがて藩公六世豊暄公に達し、御合力金の藩庫支出が実現したのでした。