(3)日映上人御遷化
この歳(元禄十二年)法雲寺にとって今ひとり大切なお方を失いました。中興開山日映上人です。
上人が直々に足を運んでこられたのは、二回か三回、それもホンノ暫くの間でしたでしょうが、この五十年間いつも法雲寺のことをお忘れなく、後継の日清上人や矩豊公を通じて指示されております。
ご自身はそのころ日々険悪化する本山や幕府からの弾圧をいかにして防御するか腐心しておられただけに、このご遷化は痛恨の極みです。でもお陰を持ちまして、法雲寺の天台宗改宗を手始めに、法華寺や感応寺も天台宗に改まることが実現しました。