(6)矩豊公と仏教美術
延宝二年(一六七四)に矩豊公は新しく二体の仏像を造顕されました。法雲寺御本尊の禅定釈迦像と観音堂本尊の聖観音立像です。ともに当代一流の仏師による入念作であろうことは素人の私どもでも推察出来るのですが、ヒョンなことから本尊仏の胎内銘が見つかりましてね。
日本佛所廿四世大佛師法眼康智弟子 延宝二甲寅年八月 都弟子 山本内匠助 作
御本尊は前記のように禅宗時代から受け継いだものかと思っていましたが、何等かの事情―例えば、雨漏りによる破損とかで修復が出来なくて新調されたかと思われます。ですから様式や法量は従前と同じ筈です。
聖観音像の方は法雲寺移転の時に観音堂に祀られた仮の御本尊を改めて矩豊公のご指示によって制作されたと思われます。
この観音様の特徴は台座の格狭間(こうざま)に施主である山名氏の家紋(桐笹紋)を散りばめている事です。
仏教美術ご専門の先生に尋ねますと『そのようなものを見たり聞いたりしたことがない』との事。
余程、矩豊公は鋭い美術観と家系への強い信奉の念をお持ちだったのですね。(写真参照)
今一つ、公の秀でた美意識を示したものに『妙法蓮華経一部八巻』(口絵参照)があります。端麗優雅な筆跡は巻頭の第一字から巻末まで一点の緩みも無く貫通していて、書道芸術と仏教芸術が渾然一体となっています。
法華経納経と言えば厳島神社の『平家納経』がありますが、それとは違った意味において、この矩豊公法華経も大きな存在感を持つものと言えましょう。