2: 2009-03-16 (月) 16:10:07 admin ソース 現: 2012-09-09 (日) 16:53:31 admin ソース
Line 4: Line 4:
*一二(ほい)峠御廟 [#y10ccba1] *一二(ほい)峠御廟 [#y10ccba1]
#ref(http://www.houun.jp/uploads/photos/206.jpg,mw:320,right,around) #ref(http://www.houun.jp/uploads/photos/206.jpg,mw:320,right,around)
-寛永19年(1642)三代・矩豊公が入部され、新たな岡藩作りを目指された折に、初代・豊国(禅高)公の御廟を京都妙心寺・東林院より分祀し、藩内の人心を結集するための聖域として整備されました。+寛永19年(1642)三代・矩豊公が入部され、新たな村岡藩作りを目指された折に、初代・豊国(禅高)公の御廟を京都妙心寺・東林院より分祀し、藩内の人心を結集するための聖域として整備されました。
以来、三百数十年がたった現在でも地域の人々には「禅高さん、ぜんこうじさん」と親しまれ、お守りされています。 以来、三百数十年がたった現在でも地域の人々には「禅高さん、ぜんこうじさん」と親しまれ、お守りされています。
平成19年には参道石段の整備と練塀の新設の平成回収工事を皆様のご協力を得て整備できました。 平成19年には参道石段の整備と練塀の新設の平成回収工事を皆様のご協力を得て整備できました。
Line 17: Line 17:
但馬の田舎の小藩には似つかわしくない、従三位の格式を今に伝え、戦前は県の文化財に指定されていました。 但馬の田舎の小藩には似つかわしくない、従三位の格式を今に伝え、戦前は県の文化財に指定されていました。
また、山名四天王と呼ばれた太田垣・垣屋・八木・田結庄等の墓地も主君を守るように下段に控えています。 また、山名四天王と呼ばれた太田垣・垣屋・八木・田結庄等の墓地も主君を守るように下段に控えています。
 +RIGHT:(場所:香美町村岡区水上)
#clear #clear
-|=下段に山名四天王のお墓、上段が藩主|=戦前は県の文化財?今は町の文化財+|=下段に山名四天王のお墓、上段が藩主| 
-|=&ref(http://www.houun.jp/uploads/photos/413.jpg,mw:320);|=&ref(http://www.houun.jp/uploads/photos/412.jpg,mw:320);|+|=&ref(http://www.houun.jp/uploads/photos/669.JPG,mw:640);
 +|=&ref(http://www.houun.jp/uploads/photos/668.JPG,mw:640);|
*桜山御廟 [#y92af8b0] *桜山御廟 [#y92af8b0]
Line 25: Line 27:
桜山御廟は陣屋があった御殿山の中腹にあり、11代から13代まで明治以降の山名家当主の御廟となっています。 桜山御廟は陣屋があった御殿山の中腹にあり、11代から13代まで明治以降の山名家当主の御廟となっています。
注目すべきは11代義済公のお墓には戒名が刻んでなく、「故村岡藩知事源朝臣義済」となっています。明治最初の廃仏毀釈の影響かと想像が出来ます。 注目すべきは11代義済公のお墓には戒名が刻んでなく、「故村岡藩知事源朝臣義済」となっています。明治最初の廃仏毀釈の影響かと想像が出来ます。
 +RIGHT:(場所:香美町村岡区殿町 御殿山)
#clear #clear


トップ   差分 バックアップ 複製 名前変更 リロード印刷に適した表示   ページ新規作成 全ページ一覧 単語検索 最新ページの一覧   ヘルプ   最新ページのRSS 1.0 最新ページのRSS 2.0 最新ページのRSS Atom Powered by xpWiki
Counter: 3078, today: 1, yesterday: 0