1: 2008-07-15 (火) 17:13:53 admin ソース 2: 2008-07-15 (火) 21:50:24 admin ソース
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その冒頭で伝教大師は、「我が為に仏を作るなかれ、我が為に経を写すなかれ」と、つまり、私の亡き後、供養の為にと仏さんを作ったり、写経等の行は必要ないと・・・今で言えば立派な石塔や仏壇は必要ないと言うところでしょうか? その冒頭で伝教大師は、「我が為に仏を作るなかれ、我が為に経を写すなかれ」と、つまり、私の亡き後、供養の為にと仏さんを作ったり、写経等の行は必要ないと・・・今で言えば立派な石塔や仏壇は必要ないと言うところでしょうか?
-でも、弟子達にしてみれば、何を以って伝教大師のお心に応え、供養に通じることが出来るのか?と言う疑問が残ります。伝教大師は更に言葉をこう続けられます。「我が志を述べよ」と。+でも、弟子達にしてみれば、何を以って師匠である伝教大師のお心に応え、供養に通じることが出来るのか?と言う疑問が残ります。伝教大師は更に言葉をこう続けられます。「我が志を述べよ」と。
 平安時代始め、伝教大師は古い体質の奈良仏教に失望し、天台宗と言う新しい仏教宗派を起こされ、大師の一生は旧仏教勢力との対立や、天台宗を一人前の仏教宗派へと成長させることに費やした生涯でした。その道半ばで伝教大師は自らの死期が近いことを覚られた訳です。  平安時代始め、伝教大師は古い体質の奈良仏教に失望し、天台宗と言う新しい仏教宗派を起こされ、大師の一生は旧仏教勢力との対立や、天台宗を一人前の仏教宗派へと成長させることに費やした生涯でした。その道半ばで伝教大師は自らの死期が近いことを覚られた訳です。
 伝教大師の思いとしては、まだまだちよち歩きの天台宗をしっかりとした一宗派に育てて欲しい、自分では成し遂げられなかった夢を弟子達に託す、その一心であったかと思えます。その気持ちが「我が志を述べよ」と言う言葉に凝縮されているのでしょう。  伝教大師の思いとしては、まだまだちよち歩きの天台宗をしっかりとした一宗派に育てて欲しい、自分では成し遂げられなかった夢を弟子達に託す、その一心であったかと思えます。その気持ちが「我が志を述べよ」と言う言葉に凝縮されているのでしょう。
-「我が為に経を写すなかれ、我が為に仏を作るなかれ、我が志を述べよ」(爲我勿作佛。爲我勿寫經。述我之志。)+ 「我が為に経を写すなかれ、我が為に仏を作るなかれ、我が志を述べよ」 
 + (爲我勿作佛。爲我勿寫經。述我之志。)
 もっと端的に言い換えれば、「特別な供養など無用、それよりも私の志を多くの人々に伝えてくれ」となるのでしょうか?余分なものをばっさりと切り捨てたいさぎ良さを感じます。  もっと端的に言い換えれば、「特別な供養など無用、それよりも私の志を多くの人々に伝えてくれ」となるのでしょうか?余分なものをばっさりと切り捨てたいさぎ良さを感じます。
 弘法大師と並び宗教的天才と称される伝教大師ほどの方だからこそ、そこまで言い切れたのかもしれませんが、天台宗の檀家である我々としても「供養」と言うことを考える時に、宗祖の言われた言葉である以上、重く受け取らねばならないようにも思えます。  弘法大師と並び宗教的天才と称される伝教大師ほどの方だからこそ、そこまで言い切れたのかもしれませんが、天台宗の檀家である我々としても「供養」と言うことを考える時に、宗祖の言われた言葉である以上、重く受け取らねばならないようにも思えます。


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