5: 2008-06-03 (火) 21:04:58 admin ソース 現: 2012-06-29 (金) 11:09:48 admin ソース
Line 1: Line 1:
 +#navi()
* 寺号の由来 [#z46acbfe] * 寺号の由来 [#z46acbfe]
- 
東林山 養安院 法雲寺(とうりんざん ようあんいん ほううんじ)の名称の由来は記録によると「法雲寺」という名前は村岡山名代三代・山名伊豆守矩豊公が寛永 19年(1642)に村岡に入部された折に、在郷の禅院を山名家の菩提寺 と定め、命名したものです。 東林山 養安院 法雲寺(とうりんざん ようあんいん ほううんじ)の名称の由来は記録によると「法雲寺」という名前は村岡山名代三代・山名伊豆守矩豊公が寛永 19年(1642)に村岡に入部された折に、在郷の禅院を山名家の菩提寺 と定め、命名したものです。
&br; &br;
Line 24: Line 24:
しかし、寛永年間(19年・1642年)になり、村岡山名代三代矩豊公が藩地に入部され、初めて大名としての行政を行われました。(寛永19年[[「参勤交代」:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%82%E5%8B%A4%E4%BA%A4%E4%BB%A3]]の制度化とも関連ありか?) しかし、寛永年間(19年・1642年)になり、村岡山名代三代矩豊公が藩地に入部され、初めて大名としての行政を行われました。(寛永19年[[「参勤交代」:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%82%E5%8B%A4%E4%BA%A4%E4%BB%A3]]の制度化とも関連ありか?)
-その第一が藩都を現在の村岡の地に移され、村の名前も「黒野村」から「村岡村」へと改められ、新たな城下町造りに励まれました。その時、黒野村にあった寺院が「報恩寺」で、矩豊公は報恩寺を山名氏歴代の菩提寺と定め、鎌倉時代以来の宝牌を納めて名門山名宗家としての祭祀を尽くされました。+その第一が藩都を現在の村岡の地に移され、村の名前も「黒野村」から「村岡村」へと改められ、新たな城下町造りに励まれました。その時、黒野村にあった寺院が「[[報恩寺]]」で、矩豊公は報恩寺を山名氏歴代の菩提寺と定め、鎌倉時代以来の宝牌を納めて名門山名宗家としての祭祀を尽くされました。
*「ほうおんじ」(報恩寺)から「ほううんじ」(法雲寺)へ [#l97f3ef1] *「ほうおんじ」(報恩寺)から「ほううんじ」(法雲寺)へ [#l97f3ef1]
-また、矩豊公は「報恩寺」(ほうおんじ)と言う寺の名に、公の父二代・矩政公の法名「法雲」(ほううん)をあてはめ、寺名を「法雲寺」の文字にに変え、併せて公自身が熱心な法華経信仰者で有ったため宗派を臨済宗から日蓮宗に変更し ました。+また、矩豊公は「[[報恩寺]]」(ほうおんじ)と言う寺の名に、公の父二代・豊政公の法名「法雲」(ほううん)をあてはめ、寺名を「法雲寺」の文字にに変え、併せて公自身が熱心な法華経信仰者で有ったため宗派を臨済宗から日蓮宗に変更しました。 
*「日蓮宗」から「天台宗」に改宗 [#hdddb37c] *「日蓮宗」から「天台宗」に改宗 [#hdddb37c]
-その当時徳川将軍家は「天台宗」と「浄土宗」を信仰されており、矩豊公は御伽衆と言う将軍に近しい役職上からの判断も有ってか、その後「日蓮宗」から「天台宗」へと宗派を再び変更され、以来二十代の住職によって現在まで引き継 がれております。 +その当時徳川将軍家は「天台宗」(寛永寺)と「浄土宗」(増上寺)を信仰されており、矩豊公は御伽衆と言う将軍に近しい役職上からの判断も有ってか、元禄4年(1691)に「日蓮宗」から「天台宗」へと宗派を再び変更され、以来二十代の住職によって現在まで引き継 がれております。 
-( [[「不受不施派寺請禁止令」:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E8%93%AE%E5%AE%97%E4%B8%8D%E5%8F%97%E4%B8%8D%E6%96%BD%E6%B4%BE]]と関連があるかも知れない)+( [[「不受不施派寺請禁止令」:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E5%8F%97%E4%B8%8D%E6%96%BD%E6%B4%BE]]と関連があるかも知れない)
*歴代藩主御廟・山名氏史料館「山名蔵」 [#w668630d] *歴代藩主御廟・山名氏史料館「山名蔵」 [#w668630d]
山内の御霊屋(おたまや)には山名氏太祖・義範公(新田義範)以後の各当主の位牌も奉安し、村岡陣屋跡には歴代村岡山名藩主の御廟があり、大名格式の名残を今に伝えています。境内の山名氏史料館「山名蔵」には山名家伝来の武具・調度品等の史料を展示し、近年では、当町出身の美術蒐集家である濱田叡観師のご協力を仰ぎ、山名家所縁の史料充実及び、中国陶器を中心とした師の貴重なコレクションの一部を「濱田記念室」として整備し展観しています。 山内の御霊屋(おたまや)には山名氏太祖・義範公(新田義範)以後の各当主の位牌も奉安し、村岡陣屋跡には歴代村岡山名藩主の御廟があり、大名格式の名残を今に伝えています。境内の山名氏史料館「山名蔵」には山名家伝来の武具・調度品等の史料を展示し、近年では、当町出身の美術蒐集家である濱田叡観師のご協力を仰ぎ、山名家所縁の史料充実及び、中国陶器を中心とした師の貴重なコレクションの一部を「濱田記念室」として整備し展観しています。
 +#navi()


トップ   差分 バックアップ 複製 名前変更 リロード印刷に適した表示   ページ新規作成 全ページ一覧 単語検索 最新ページの一覧   ヘルプ   最新ページのRSS 1.0 最新ページのRSS 2.0 最新ページのRSS Atom Powered by xpWiki
Counter: 4391, today: 1, yesterday: 1