71: 2012-03-20 (火) 09:47:17 admin[6] [7] | 72: 2012-04-14 (土) 13:21:15 admin[6] [8] | ||
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TITLE:ようこそ但馬村岡 法雲寺へ | TITLE:ようこそ但馬村岡 法雲寺へ | ||
#norelated | #norelated | ||
- | * 最近の光景 [#xe53bdae] | ||
- | **H18豪雪以上の雪です [#e717a22a] | ||
- | 今年こそは「雪の少ない冬でありますように・・・」と願っていたのですが、期待を裏切る大雪で毎日毎日雪の処理です。 | ||
- | これ上降っても、雪を持って行き場がない状況。 | ||
- | |=H24春彼岸|h | ||
- | |&ref(http://www.houun.jp/uploads/photos/601.jpg,mw:360);| | ||
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- | ***地蔵堂裏の雪下ろし [#qf493c82] | ||
- | #include(video/雪下ろし,notitle) | ||
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- | **境内の花木 [#cbf4d58c] | ||
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* 法雲寺は藩公山名氏の菩提寺です。 [#kc5af408] | * 法雲寺は藩公山名氏の菩提寺です。 [#kc5af408] | ||
CENTER:''室町時代、「六分一殿」とよばれ西国十一ヶ国を所領し室町幕府の雄といわれた「山名氏」。'' | CENTER:''室町時代、「六分一殿」とよばれ西国十一ヶ国を所領し室町幕府の雄といわれた「山名氏」。'' | ||
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|&ref(http://www.houun.jp/uploads/photos/256.jpg,mw:240,法雲寺);| | |&ref(http://www.houun.jp/uploads/photos/256.jpg,mw:240,法雲寺);| | ||
&font(12pt){ その強大な勢力が為に足利将軍を始め周囲から恐れられ、一族内での対立を謀られたり、応仁の乱に引き込まれたりと・・・やがてその権勢も徐々に弱まり、戦国の時代になると、所領する国も但馬・因幡等となりました。&br; 豊臣秀吉の西国征伐で出石に本拠を置いた但馬山名氏は滅亡し、因幡山名氏の最後の当主、山名豊国(禅高)は家臣の反対を押し切り、秀吉の前に屈して、辛うじて山名の名を残すことが出来ました。&br; 江戸時代に入り、徳川の世となると、豊国は但馬国七美(ひつみ)郷の6500石を安堵され、村岡山名として再出発をし、交替寄り合い衆として幕末まで徳川幕府に十数代に渡り仕えました。&br; 当法雲寺は村岡山名第三代矩豊公が藩都を村岡に移した際に在郷の禅院(妙心寺末「[[報恩寺]]」:詳細は不明)を街の中心に据え、鎌倉以来の歴代当主の位牌を祀り、山名氏の総菩提所と定めた事に由来します。&br;}; | &font(12pt){ その強大な勢力が為に足利将軍を始め周囲から恐れられ、一族内での対立を謀られたり、応仁の乱に引き込まれたりと・・・やがてその権勢も徐々に弱まり、戦国の時代になると、所領する国も但馬・因幡等となりました。&br; 豊臣秀吉の西国征伐で出石に本拠を置いた但馬山名氏は滅亡し、因幡山名氏の最後の当主、山名豊国(禅高)は家臣の反対を押し切り、秀吉の前に屈して、辛うじて山名の名を残すことが出来ました。&br; 江戸時代に入り、徳川の世となると、豊国は但馬国七美(ひつみ)郷の6500石を安堵され、村岡山名として再出発をし、交替寄り合い衆として幕末まで徳川幕府に十数代に渡り仕えました。&br; 当法雲寺は村岡山名第三代矩豊公が藩都を村岡に移した際に在郷の禅院(妙心寺末「[[報恩寺]]」:詳細は不明)を街の中心に据え、鎌倉以来の歴代当主の位牌を祀り、山名氏の総菩提所と定めた事に由来します。&br;}; | ||
+ | * 最近の光景 [#xe53bdae] | ||
+ | **境内の花木 [#cbf4d58c] | ||
*山名蔵若干改装とWebページ独立 [#ae49c2b2] | *山名蔵若干改装とWebページ独立 [#ae49c2b2] | ||
**山名蔵収蔵品最近のページ更新 [#c3c33f4f] | **山名蔵収蔵品最近のページ更新 [#c3c33f4f] |
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