59: 2011-06-10 (金) 15:46:12 admin ソース 現: 2018-08-29 (水) 23:38:46 admin ソース
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TITLE:ようこそ但馬村岡 法雲寺へ TITLE:ようこそ但馬村岡 法雲寺へ
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* 法雲寺は藩公山名氏の菩提寺です。 [#kc5af408] * 法雲寺は藩公山名氏の菩提寺です。 [#kc5af408]
CENTER:''室町時代、「六分一殿」とよばれ西国十一ヶ国を所領し室町幕府の雄といわれた「山名氏」。'' CENTER:''室町時代、「六分一殿」とよばれ西国十一ヶ国を所領し室町幕府の雄といわれた「山名氏」。''
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-|&ref(http://www.houun.jp/uploads/photos/256.jpg,mw:240,法雲寺);| +|&ref(http://houun.jp/uploads/photos/706.jpg,mw:320,山名禅高);| 
-&font(12pt){ その強大な勢力が為に足利将軍を始め周囲から恐れられ、一族内での対立を謀られたり、応仁の乱に引き込まれたりと・・・やがてその権勢も徐々に弱まり、戦国の時代になると、所領する国も但馬・因幡等となりました。&br; 豊臣秀吉の西国征伐で出石に本拠を置いた但馬山名氏は滅亡し、因幡山名氏の最後の当主、山名豊国(禅高)は家臣の反対を押し切り、秀吉の前に屈して、辛うじて山名の名を残すことが出来ました。&br; 江戸時代に入り、徳川の世となると、豊国は但馬国七美(ひつみ)郷の6500石を安堵され、村岡山名として再出発をし、交替寄り合い衆として幕末まで徳川幕府に十数代に渡り仕えました。&br; 当法雲寺は村岡山名第三代矩豊公が藩都を村岡に移した際に在郷の禅院(妙心寺末「[[報恩寺]]」:詳細は不明)を街の中心に据え、鎌倉以来の歴代当主の位牌を祀り、山名氏の総菩提所と定めた事に由来します。&br;}; +&font(12pt){ その強大な勢力が為に足利将軍を始め周囲から恐れられ、一族内での対立を謀られたり、応仁の乱に引き込まれたりと・・・やがてその権勢も徐々に弱まり、戦国の時代になると、所領する国も但馬・因幡等となりました。&br; 豊臣秀吉の但馬征伐で出石に本拠を置いた但馬山名氏は滅亡し、因幡山名氏の最後の当主、山名豊国(禅高)は家臣の反対を押し切り、秀吉の前に屈して、辛うじて山名の名を残すことが出来ました。&br; 江戸時代に入り、徳川の世となると、豊国は但馬国七美(ひつみ)郷の6500石を安堵され、村岡山名として再出発をし、交替寄り合い衆として幕末まで徳川幕府に十数代に渡り仕えました。&br; 当法雲寺は村岡山名第三代矩豊公が藩都を村岡に移した際に在郷の禅院(妙心寺末「[[報恩寺]]」:詳細は不明)を街の中心に据え、鎌倉以来の歴代当主の位牌を祀り、山名氏の総菩提所と定めた事に由来します。&br;}; 
-*鐘つき堂雪害修理起工 [#s262b98d] +#clear 
-降り積もる雪の重みで、一月に潰れた柱の修理が始まりました。 +#norelated
-詳細はコチラから → [[鐘つき堂修理の経過]] +
-|=第1日目 6/6||| +
-|=&ref(http://www.houun.jp/uploads/photos/514.jpg,mw:240,北東の柱);|=&ref(http://www.houun.jp/uploads/photos/518.jpg,mw:240,角材を組んで持ち上げる);|=&ref(http://www.houun.jp/uploads/photos/526.jpg,mw:240,持ち上がった柱);| +
-|=第2日目 6/7||| +
-|=&ref(http://www.houun.jp/uploads/photos/531.jpg,mw:240,枠組み完成);|=&ref(http://www.houun.jp/uploads/photos/533.jpg,mw:240,ジャッキアップ);|=&ref(http://www.houun.jp/uploads/photos/538.jpg,mw:240,基礎撤去);| +
-|=第3日目 6/8||| +
-|=&ref(http://www.houun.jp/uploads/photos/550.jpg,mw:240,柱切断);|=&ref(http://www.houun.jp/uploads/photos/549.jpg,mw:240,傷んだ根本);|=&ref(http://www.houun.jp/uploads/photos/548.jpg,mw:240,基礎撤去);| +
-|=第4日目 6/9||| +
-|=&ref(http://www.houun.jp/uploads/photos/554.jpg,mw:240,宙に浮くお堂);|=&ref(http://www.houun.jp/uploads/photos/558.jpg,mw:240,切断面と新束石);|=&ref(http://www.houun.jp/uploads/photos/559.jpg,mw:240,本堂前);| +
-[[修理の様子:http://www.houun.jp/modules/myalbum/viewcat.php?cid=30]] +
- +
-* 最近の光景 [#xe53bdae] +
-**境内の花木 [#cbf4d58c] +
-今年は半月ぐらい季節が遅れているように思えますが、それでも5月中旬になって草花も色づきはじめました。 +
-|=境内の花木|||h +
-|=&ref(http://www.houun.jp/uploads/photos/543.jpg,mw:240,芍薬);|=&ref(http://www.houun.jp/uploads/photos/544.jpg,mw:240,芍薬);|=&ref(http://www.houun.jp/uploads/photos/545.jpg,mw:240,芍薬);| +
-[[境内の花木:http://www.houun.jp/modules/myalbum/viewcat.php?num=12&cid=21]] +
- +
-*このサイトの主な内容 [#u0c85304] +
-|=項目|=概要|h +
-|[[歴史沿革>houun/歴史沿革]]|法雲寺や但馬村岡の歴史を中心に| +
-|[[境内諸堂>houun/境内諸堂]]|藩主墓地や竹田城の供養塔など、周辺にある関係箇所のご案内| +
-|[[村岡山名氏>houun/村岡山名氏]]|現在まで14代(山名家では30代)続いている山名氏について| +
-|[[「山名蔵」>houun/山名史料館「山名蔵」]]|法雲寺蔵のもの、山名氏諸家に伝わった逸品を展示| +
-|[[写真資料:http://www.houun.jp/modules/myalbum/]]|各種の写真資料を掲載しています| +
-|[[法話>houun/法話]]|寺報などに気まぐれに掲載した法話| +
-|[[ご供養について>houun/ご供養について]]|法雲寺での法事等の先祖供養や永代供養に関して| +
-|[[寺報・書籍>houun/寺報・書籍]]|「山名豊国」「山名氏八百年」等、法雲寺縁の書籍をご紹介| +
-|[[お知らせ:http://www.houun.jp/modules/bulletin/]]|お寺の行事などのお知らせ| +
-|[[周辺情報>houun/周辺情報]]|交通経路、近隣のスポット等のご紹介| +
-|[[その他>houun/その他]]|その他雑多な諸々| +
-|[[メール:http://www.houun.jp/modules/ccenter/]]|お問い合わせ等にご利用下さい。| +
-|[[リンク>houun/リンク]]|縁のあるところのホームページリンクを掲載| +
-|[[旧ホームページ:http://www.houun.jp/fswiki/wiki.cgi]]|まだまだ、移転が十分じゃないので・・・| +
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-*最近の更新ページ [#v60880ef] +
-|#recent(10)| +
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-*地図で場所を確認 [#d7837142] +
-#include(map/法雲寺周辺図,notitle)+


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