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寺報・書籍​/山名​/1号​/山名氏四代の栄光 のバックアップの現在との差分(No.6) :: 東林山法雲寺のホームページ

xpwiki:寺報・書籍/山名/1号/山名氏四代の栄光 のバックアップの現在との差分(No.6)

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6: 2010-02-20 (土) 14:56:37 admin[5] ソース[6] 現: 2010-02-21 (日) 11:58:42 admin[5] ソース[7]
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山名氏は時氏・氏清・時熈および宗全の四代が相次いで名声をあげた。時氏は辺隅の百姓同然の出自だったが大出世したと述懐している。四代各人それぞれ出世街道を異にしたし、波瀾万丈の人生だったかもしれないが、福徳満足と評さるべきものであろう。三代目の時熈で名族山名氏の盛代がうたわれるが、西軍大将の栄名をあげた宗全の存在もこれを補強した。それぞれ持ち味に掬すべきものがある。この四代累積の栄光を負って山名氏は連綿したといえる。 山名氏は時氏・氏清・時熈および宗全の四代が相次いで名声をあげた。時氏は辺隅の百姓同然の出自だったが大出世したと述懐している。四代各人それぞれ出世街道を異にしたし、波瀾万丈の人生だったかもしれないが、福徳満足と評さるべきものであろう。三代目の時熈で名族山名氏の盛代がうたわれるが、西軍大将の栄名をあげた宗全の存在もこれを補強した。それぞれ持ち味に掬すべきものがある。この四代累積の栄光を負って山名氏は連綿したといえる。
 +*[付記] [#l9bf38c3]
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 +筆者は昭和43年に『応仁の乱』(日本歴史新書、至文堂発行)を著作、同50・53年に『兵庫県史第二・第三巻』の「南北朝~応仁の乱」を分担執筆した。なお、昭和34年に論文「織田信長の但馬経略と今井宗久-付、生野銀山の経営-」(関西学院史学第五号)を発表している。ちなみに、昭和29年から山本茂信氏とともに「但馬楞嚴寺・妙見山日光院文書」の校刊に当たった。その交誼から本稿を執筆呈上する。
 +栃木県佐野市生まれ、奈良市在住。
 +※参考書『兵庫県史』・『同中世史料編』石田松蔵『但馬史』小坂博之『山名常熈と禅刹』・『山名豊国』
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 +|=西陣碑|=京都市上京区堀川通上立売下ル山名町|
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