7: 2009-09-30 (水) 13:50:13 admin ソース 8: 2010-01-28 (木) 17:05:20 admin ソース
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 引組で上に成下に成しが、明石組勝て片山が頸を取て立挙る処に、片山が傍輩赤松孫四郎押竝て組処を、明石事ともせず組伏せ、是も頸を取る。惣じて此合戦に相摸守一族若党廿八人討死す。」  引組で上に成下に成しが、明石組勝て片山が頸を取て立挙る処に、片山が傍輩赤松孫四郎押竝て組処を、明石事ともせず組伏せ、是も頸を取る。惣じて此合戦に相摸守一族若党廿八人討死す。」
-P57+**P57 [#j3fb74fe] 
 +その後、赤松氏は播磨へ下った。山名の家人被官は上洛して留守であるから、赤松は無人の野を征くが如く播磨と備前を席巻した。 
 + 「さても美作國事。山名掃部頭ふまえて有しかども、大内新介同道致すべき由申さるる間、打連れて上洛し玉ふ。又、赤松内に中村五郎左衛門尉と云者纔になりしが、大功上に立ん事を朝暮希う者なれば、傍輩ども十人計相語て、同(注、応仁元年)十月三口切て入。院の庄をふまえ、数度大略利を得しかども、東郡へ敵出て、妙見の城、菩提寺、和介山等に籠しかば、政則一名字に広岡民部少・輔祐貴に人勢を相添て差下す。三箇年の間合戦止む時なし。去乍ら、太田は山城の柏の城にて討死し、掃部頭又病死しける。其子彦房も盡期山の合戦に打負て伯耆國へ落行けり。粟井加賀、松原弾正、和介山にて討死す。中村が所々にて合戦筆に盡し難し。是より後は赤松三方国手に入れける。」 
 +と、ある。さて、応仁の乱終って後、山名政豊は播磨、美作、備前を取られたことを無念至極と思い、奪還せんものと兵を動かした。かくて、播但街道は軍馬往来が頻繁になってきた。「借前文明乱記」から、 
 + 「山名右衛門督政豊、三方国を召放され、赤松に返し被下事を怒り、野心を起し、文明十年九月上旬、上意を伺わず但馬国へ馳下り、軍勢を集る間、赤松兵部少輔も同十月廿一日播磨国へ下向し、此次てを以て備前国松田将監が押領する在所どもを改易すべきの由風風す。元成此事を伝え聞て、 -中略- 歩行粧にて備後国に下り、山名又次郎俊豊に申けるは、御分国とも今度一乱中、赤松に返し給こと是非無き次第に候、所詮急度思召立、御取返しあるに於ては、備前国のことは我等切開き、可進の由事ものなげに申間、俊豊も元来備前国は望也。一往の思案にも及ばず、頓て領掌あり、軍の内談も申合せて、松田をば備前国にぞ返しける。案の如く、幾程もなく政則備前に打越、彼在々所々を悉押置、給人を付たり。兼てより思儲しことなれば、但馬、備後両国へ飛脚の往還する程こそあれ、 
 +**P58 [#h050e3a1] 
 + 文明十五年九月廿六日置、山名又次郎俊豊、備後の尾道を打立、同國の國分寺に着陣し、分国他国の勢を相催す間、俊豊催促に随う輩には、先ず当国守護代太田垣美作入道。舎弟三河守。同新右衛門尉、同右京亮、三吉太郎、同和泉守。杉原三郎、木梨遠江守、本郷藤左衛門、山内新左衛門尉、同下野守。多賀新兵衛尉。滑良兵庫助。即周四郎太郎。三河内河内守。金谷山城守。花栗播磨守。湯川備中守。鍛冶屋五郎左衛門。和気筑前守。安田掃部頭、小越弾正左衛門。由谷加賀守。江田新蔵人。同與三左衛門尉。湧喜上野介。敷名備中守。下見三郎。栗原刑部左衛門尉。吉原藤左衛門尉。田尻左馬允。上之山出雲守。板倉新左衛門。安芸国には小早川。草井和泉守。竹原則光。備中国には毛利太郎。赤川和泉守っ出雲国には馬木惣兵衛尉。伯耆国には小鴨次郎四郎。同掃部助。石見国には周布、福屋、其外隣国の諸侍ども馳付ける程に、都合其勢三千余騎。十一月七日に備前国に押寄る。 -中略-  
 + 斯て山名又次郎俊豊、備前国着陣の日より、但馬國におわする親父右衛門督の方へ、飛脚を立てらるること敷波なり。既に敵と対陣仕り、日々及合戦候。急度其國より播州へ御勢を可被指向、御延引あらば定て播磨美作の勢牒し合せなば、爰元難儀たるべき由被申けれども、上意ならざるに依て、垣屋平右衛門雑掌にて歎き申されければ、未但馬丸山城に磬、播磨國へは不打人給。赤松兵部少輔政則が方へは、 -中略- 日の中に二三度まで注進しけれども、可然功者なんどもなきか、又は若武者楚忽の義あらんと思いけるか。毎々政則には披露なく、只心得たると云儀の返事ばかりにで、一日路二日路の間に、二方国の大勢掴へながら、去年六七月より思儲けたる合戦、翌年正月下旬まで一時も馳加らざりしは、是非なき次第かなとつぶやく人も多かりけり。斯て如何なる者の異見にてか有けん。備前へは宇野下野守、浦上掃部助を摘下し、政則は十二月十六日、姫路の城を打立て、同十八日同国大賀庄と云所に着陣す。人皆仰天して、大敵備前に乱入の由、日々注進あるを聞て、如何なる事やらんと申す 
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