9: 2009-07-27 (月) 23:26:41 admin ソース 10: 2009-07-30 (木) 20:33:50 admin ソース
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「畠山義就」は東軍の「赤松政則」と並称される豪勇の将であり名将であった。持国の妾腹であったことがわざわいをして政長がかつぎ出された。 「畠山義就」は東軍の「赤松政則」と並称される豪勇の将であり名将であった。持国の妾腹であったことがわざわいをして政長がかつぎ出された。
 +この畠山氏の内紛に際し、細川勝元は終始「政長」を支持した。
 +山名持豊は「義就」の才幹に注目して「義就支持派」となる。
 +その他、将軍義政の実子「義尚」の誕生によって、義政の後継者と決めていた「義視-義政の弟」との反目、将軍の決断のなさや無能も乱の一因であった。
 +(従来は上記が乱の原因であるとされていた。)
 +主因は畠山義就・政長の争いにそれぞれ加担する山名・細川両守護の競り合いであった。
 +一四六七年(応仁元年)正月、政長は京都上御霊社境内で義就軍に戦いをいどみ、ここに前後十か年に及ぶ戦乱の火ぶたは切って落とされた。
 +緒戦は山名軍が優勢、勝元は地方で反撃に転じた。
 +また細川勝元は勇将「赤松政則」に播磨・備前・美作の三か国を衝かせて山名軍を牽制するなど、両軍は各地にわたって虚々実々の戦いをくり広げている。
 +
 +東軍(細川軍)十六万、両軍(山名軍)十一万という大軍に誇張があるとしても「傭兵集団」が主要戦力であるからには、長期間を京都にいることは無理であったであろう。
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 +傭兵集団というのは、戦いの方法が南北朝このかた「歩兵の集団戦法」に変化していった。馬を射る方法や槍を多用するなどはその象徴である。さらには武士身分でない者の武力集団であるので、ゲリラ戦・不意討ち・待ち伏せなどを得意とした多人数の歩兵部隊であった。
 +
 +一四七三年(文明五年)には総帥の山名持豊と細川勝元が相いついで死去、厭戦気分がみなぎった。
 +山名持豊の孫である「山名政豊」は、両軍の和平に力をつくし、将軍家から山城守護に補せられるや、勝元の子「政之」との間に和平の議がまとまった。
 +**夜久野原の合戦-内藤塚のこと [#vd76bbfc]
 +応仁の乱において利田山町臼井では「内藤塚」で知られているように、山名・細川両軍の間で激しい戦いが行なわれた。
 +一四六七年(応仁元年)五月下旬の戦いから戦局は大きく進んだ。東軍は不利で西軍が有利に戦いを進めたというわけである。
 +ところが播磨では、赤松の一族である赤松政秀が「赤松遺臣」を手なづけ多くがこれに従った。旧領を回復した政秀は、置塩城を本拠として追い討ちをかけに領美作を奪回してさらに備前まで進出した。
 +この作戦に応ずるかのように細川方は「地方撹乱」(正しくはこうらんとよむ)をねらって、分国の丹波から持豊の本拠但馬を強襲した。粟鹿・磯部を始め夜久野原一帯は、細川方の長九郎左衛門・内藤孫三郎・疋田夜久ちの軍で満ちみちていた。
 +このころ山名の守護代は太田垣土佐守で、竹田城を預かっていた。嫡子、新左衛門宗朝は京都へ応援に行ったまま帰郷していなかった。竹田城の留守居は次男の新兵衛尉が守っていた。長・内藤らが丹波・但馬国境に侵攻したことを知ると、直ちに夜久野が原・東河に打って出て、三月二十日新兵衛尉は片木山城守らと徹底的な大勝利を得た。
 +内藤を討ったのは、新兵衛尉の家来、中路八郎三郎であった。
 +和田山町白井の「内藤塚」と伝えている小高いところには、石仏が数個立ち並んでいる。内藤兄弟を葬ったところと言い伝えてきている。
 +山名持豊はこの勝利を聞いて大いに喜び、将軍義満から賜わった「御賀丸」という太刀を新兵衛尉に、感状を八郎二郎に与えている。また太田垣光景の墓と伝える寛正六年(一四六五年)の石碑が常光寺にある。
 +
 +**山名宗全という人 [#c102ef77]
 +応仁の乱で西軍の総大将となった「山名持豊-宗全」は「昆沙門天」の化身ともうわさされ剛勇な武人であった。
 +現婁主義を主張する実力者でもあって、ついに管領細川勝元と応仁の乱で争った。
 +宗全はすぐれた武将であるとともに、和歌や連歌をたしなむ文化人でもあった。また、仏心も厚く京都南禅寺に塔頭「真乗院」を建立し、香林和尚を開山とし朝夕の礼拝も怠ることがなかった。
 +近年、朝来郡朝来町上岩津の真言宗「鷲原寺」(通称わしはらでら)に持豊が寄進したという十二神将が発見された。
 +彼の信仰心の表われであるとともに、朝来郡との関係の深さを物語っていると言えなくもない。


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