2: 2016-02-22 (月) 21:58:38 admin ソース 現: 2016-03-12 (土) 14:58:27 admin ソース
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 +TITLE:平成版「法雲寺縁起」について
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*平成版「法雲寺縁起」の刊行について [#of21f3b1] *平成版「法雲寺縁起」の刊行について [#of21f3b1]
-CENTER:(前住職忌明に際して)+|&ref(http://houun.jp/uploads/photos/756.jpg,mh:240,内表紙);|#ls2()| 
 +|~|=•[[「法雲寺縁起にまつわる紆余曲折」PDF>http://houun.jp/uploads/photos/767.pdf]]|
-法雲寺前住職廣昭(以下:老僧)が著したこの本は、平成28年1月29日に法雲寺に納められました。 +#ref(http://houun.jp/uploads/photos/754.JPG,mw:240,right,around,法雲寺縁起
-その日は丁度、老僧の二(ふた)逮夜(たいや)当日で、「これは良いお供えの品を納めてもらえた。」と喜ぶ反面、「もう2週間早く印刷に出していたら、老僧自身が本を手にとって出来映えを確かめられただろうに。」と少し残念な気持ちも半分。 +当縁起は、法雲寺前住職である十九代廣昭が米寿記念として、平成26年秋から27年師走まで取り組んできたものですが、この縁起が刊行する2週間前に著者である前住職は急逝し、残念ながら本人はこの本を手にすることは出来ませんでした。 
-もし、老僧生前に本が出来上がっていたなら多分今頃は『正誤表』作りに勤しんで居て、死(し)辰(しん)も少しは先延ばしとなっていたかも知れません。そう思うと残念な気持ちの方が勝るでしょうか? +此の程、前住職満中陰も済み関係諸氏へ遺著となった当縁起のお配りも出来ましたので、残数の200冊ほどはご希望の方にお分けさせていただけます。(要協力金2000円) 
-**法雲寺の歴史の不明点 [#n272e9dc] +お寺の縁起と言うと固苦しそうですが、当縁起は物語調で比較的読みやすい文章となっており、時間潰しの読み物としても気軽に読んで頂けるのでは無いかと思います。
-法雲寺の歴史の中で幾つか不明な部分があります。その一つが村岡山名氏菩提寺となる江戸時代より前の法雲寺の姿。また、村岡山名氏菩提寺と定めた山名矩(のり)豊(とよ)公が晩年、それまでの日蓮宗から天台宗へ法雲寺を宗旨替えさせた事です。矩豊公は自他共に認める熱心な法華経信者でしたから尚更のことです。この宗旨替えの事も、法雲寺の前身のことも、その辺りの事情を説明したものは何も伝わっていません。+
-老僧はこの本を著すことにより、今まで不明であった部分も含んで法雲寺の起こりと変遷について一筋の流れを導き出してくれました。これからは老僧が明らかにしてくれた流れを基本として、後に続く者が折々に傍証を肉付けして法雲寺の歴史を語っていくことにしたいと思います。 +*法雲寺と村岡 [#n4630d5b] 
-大概、お寺の縁起というものは堅苦しい印象ですが、この本は縁起という前に読み物として、さらりと読めるように思えますので、お時間がある時に気軽に頁をめくってみて下さい。+#ref(http://houun.jp/uploads/photos/768.jpg,mh:240,right,around,法雲寺縁起) 
 +江戸時代の初め寛永19年(1641)、村岡山名三代矩豊(のりとよ)公は藩都を旧来の福岡(香美町村岡区福岡)から村岡へと移す事業に取りかかります。それまで荒れた川原場の小集落に過ぎなかった村岡の地に、護岸を巡らせ新しい町を形作っていきます。 
 +陣屋と藩公菩提寺を結ぶ筋を「縦の中心線」とし、東西に通る山陰道を「横の中心線」として、城下街の作法に則った街造りを進めました。その意味では、陣屋と藩公菩提寺は城下街村岡・寛永時代のニュータウン村岡の基点とも言えます。
 +*縁起執筆のきっかけと、二つの不明点 [#d4640f1a]
 +法雲寺の歴史の中で、二点ほど不明なところがあります。
 +**不明点その1 [#i5a7da9f]
 +一つは江戸時代に藩公菩提寺に定められた法雲寺ですが、それ以前の前身について、何と言うお寺で、何処にあったのか?が今一つはっきりとしていませんでした。(戦中まであった古い梵鐘の銘文に「以前は臨済の禅苑」と彫られていたのが、唯一の手がかり)
 +**不明点その2 [#x6007e52]
 +もう一つは、法雲寺を藩公菩提寺に定めた矩豊公は自他共に認める熱心な法華経信者であったのにも関わらず、公の晩年にあっさりと日蓮宗から天台宗に宗旨替えをし、それに伴い法雲寺も日蓮宗から天台宗に改宗させられました。
 +これについては、老境に入った矩豊公の「宗教的心情の変化」とか、将軍お側役の立場上からの「政治的判断」とか、歴代の住職は思い思いに語って来ました。
 +それが縁有って、法雲寺と同時期に日蓮宗から天台宗に改宗させられた御寺院(碑文谷・円融寺)から、寺史資料のご提供を受け、改宗にまつわる経緯が大分明らかとなりました。それを検証する為に前住職が、旧来からの七美郡関係の郷土史料を宗教(政策)面中心に整理を進めていくと、自ずと法雲寺の前身像も輪郭が見えて来た訳です。
 +前住職はこれを期として、法雲寺の成り立ちから、今現在に至るまでの大まかな流れを―平成版―「法雲寺縁起」としてまとめる事を決意したようです。
 +* [#s7d7b046]
 +旧村岡陣屋と法雲寺が城下街村岡の基点と書きました。そんな意味では法雲寺の辿ってきた道筋は、村岡が歩んできた歴史と密接な関係があるとも言えます。
 +地域独自の文化や歴史が薄れつつある昨今、村岡の成り立ちについて思い巡らせる事に、当縁起が少しでも繋がれば幸いです。
-**「法雲寺縁起」刊行にまつわる紆余曲折 [#d51090ce] 
- 
-私が何かの調べ物の折りに、江戸時代の初めに起きた日蓮宗内の「受不施派」と「[[不受不施派>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E5%8F%97%E4%B8%8D%E6%96%BD%E6%B4%BE]]」の対立に関する一文を目にし、それを老僧に渡したことが有りました。 
-対立の内容は長くなるので、ここでは触れませんが、最終的には江戸幕府の裁定により「不受不施派」は解散させられ、その所属寺院は「受不施派」に転派するか、天台宗への宗旨替えを迫られます。その年代が元禄4年(1691)で法雲寺が天台宗に変わった年と一致するのですが・・・ 
-正直な話、私などは例え同時期のことであったとしても、片や当時の仏教界のみならず江戸幕府を巻き込んでの大論争と、山名氏菩提寺とは言うものの但馬の山寺の宗旨替えが直接結びつくとは思えませんでしたが、老僧には何か感じるものがあったのでしょう。数日の内に、法雲寺と同じ時期に日蓮宗から天台宗に転向した東京のお大寺(たいじ)(碑文谷・圓融寺)のご住職に問い合わせの手紙をしたためて居りました。 
-しばらくして先のご住職から丁寧なお手紙と共に重厚な『圓融寺史』を頂き、一読しただけで確信を強くした老僧は、その勢いで「法雲寺縁起」の執筆に取りかかりました。時に平成26年秋の事です。 
- 
-その秋から翌27年の春までの約半年、それこそ何かに取り憑かれたように老僧は原稿書きに没頭し、痛む腰を貼り薬や入浴で紛らわせ、コタツの周囲に新旧の資料を壁のように積み上げては事務用便せんに1頁ずつ細かい文字で埋め尽くしていきます。 
-それは朧気になっていく一方の記憶を何とか形が分かる間に少しでも文字として残そうとしているようにも見えました。 
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-**三代の共同作業 [#he0c3313] 
-一冬の苦闘の末、翌春4月には初期の原稿は完成し、次はこの手書き原稿を元に製本に向けての作業に移るのですが、これは老僧一人では難しく否応なく我々も巻き込まれます。 
-老僧の手書き原稿から息子(副住)がパソコンに文字を入力し、それを引き継いで私(住職)が頁の体裁や資料や図表を加え、老僧が仕上がりをチェックする三人の分業体制で節ごと、章ごとに活字化していく段取りです。 
-当初はそのようにスタートした作業ですが、一冬の間無理を重ねた事も有って、4月下旬以降何度か老僧の入院などが間に入り、作業はなかなか思うようには進まず、ようやく本の内容が完成して、老僧同席の上で印刷業者の方と打ち合わせが出来たのは4月の活字化作業を開始してから8ヶ月経った12月のことでした。 
- 
-この本は、老僧が執筆を始めた平成26年の秋から印刷業者にデータを渡す27年の晩秋まで約1年間の時間を経て、老僧と、老僧の指図を受けた私と息子の三人がかりで仕上げた本となります。 
-写真の写り具合から、表罫線の太さに至るまで細かな注文を連発し、折角仕上げた箇所でも平気で大幅な変更を言い出す老僧と、それに振り回され、その都度腹を立てたり、文句を言ったりしていた我々。 
-今から思えば、この本を作らなければ成らなかった事で普段より老僧と濃い一年間を過ごせたのかも知れません。 
-内容自体は余り面白くも無いお寺の歴史ですが、頁をめくった際にどことなく飄々とした老僧の語り口を感じて頂ければ幸いです。 
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-尚、「正誤表」は作っておりません。本文中の誤りも八十八翁廣昭の味の一つとして、どうかお許し下さい。 
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-RIGHT:(平成28年3月4日法雲寺吉川廣隆) 
*関連ページ [#g10f62bb] *関連ページ [#g10f62bb]
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