12: 2009-08-09 (日) 17:50:18 admin ソース 13: 2009-08-09 (日) 20:50:50 admin ソース
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だとするなら一五八○年(天正八年)以降ということになる。 だとするなら一五八○年(天正八年)以降ということになる。
もっとも、織豊時代以前の山城の構築として、山名.太田垣氏の手になるものと考えられる立派な「たて堀」や「砦」が残存し、現城跡より北へ二五〇メートルほど行った、通称観音寺山には、とりでやたて堀が雑木林の中にはっきりと残っており、山名時代をしのばせるのに十分である。 もっとも、織豊時代以前の山城の構築として、山名.太田垣氏の手になるものと考えられる立派な「たて堀」や「砦」が残存し、現城跡より北へ二五〇メートルほど行った、通称観音寺山には、とりでやたて堀が雑木林の中にはっきりと残っており、山名時代をしのばせるのに十分である。
-***二、・竹田城跡の見どころ [#kc2d7c02]+***二、竹田城跡の見どころ [#kc2d7c02]
竹田城跡の歴史的詮索はしばらく置いて、この城の見どころをズバリと申し上げたい。 竹田城跡の歴史的詮索はしばらく置いて、この城の見どころをズバリと申し上げたい。
ここ三、四年前から城跡に杖をひく人が本当に多くなってきた。 ここ三、四年前から城跡に杖をひく人が本当に多くなってきた。
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穴太流野面積の見事さである。一にも二にも石垣に注意してほしい。しかし、石積み技法が始めから分かるということは無理なはなしで、時間をかけて見ていくうちに、少しずつ分るようになるものだ。 穴太流野面積の見事さである。一にも二にも石垣に注意してほしい。しかし、石積み技法が始めから分かるということは無理なはなしで、時間をかけて見ていくうちに、少しずつ分るようになるものだ。
たとえば、花屋敷と言われている一郭から仰ぐ重畳たる石積みの重厚にして荘重なこと、南千畳に立って一望する石塁の壮大にして変化に富むすばらしい遠望は「石積みの饗宴」とでも言えようか。 たとえば、花屋敷と言われている一郭から仰ぐ重畳たる石積みの重厚にして荘重なこと、南千畳に立って一望する石塁の壮大にして変化に富むすばらしい遠望は「石積みの饗宴」とでも言えようか。
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***三、城の歴史をさぐる [#p46c5dfe] ***三、城の歴史をさぐる [#p46c5dfe]
竹田城は、但馬国の守護大名であった山名宗全の家臣で、この土地の土豪であった太田垣氏の居城であると言われている。 竹田城は、但馬国の守護大名であった山名宗全の家臣で、この土地の土豪であった太田垣氏の居城であると言われている。


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