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寺報・書籍/山名赤松研究ノート/1号/山名・赤松両氏の黄昏
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:寺報・書籍/山名赤松研究ノート/1号/山名・赤松両氏の黄昏 をテンプレートにして作成
開始行:
#navi(寺報・書籍/山名赤松研究ノート/1号)
*山名・赤松両氏の黄昏
RIGHT:事務局 ''吉川広昭''
**(はじめに)
この研究ノートに、どなたかが山名赤松両氏の衰運のことを書...
なお、私ごとながら、わが家系をたどれば、赤松氏八十八家の...
そんなわけで、盛者必衰を図に描いたような”山名赤松両氏の黄...
この稿をまとめるために山名赤松両氏の交渉の概略を知ろうと...
|○正平九年&br;(一五四)|12南党山名時氏、直冬を擁して、...
とあるのが山名赤松両氏接触の初見であり、
|○大永二年&br;(一五二二)|11但馬守護山名誠豊、赤松家臣の...
|○大永三年&br;(一五二三)|11山名誠豊、書写山の戦に破れ...
の記述が最後であった。その間実に百七十年、兵庫の南北に対...
中でも抗争が最高潮に達したのは、所謂「嘉吉の変」による両...
|○文明一年&br;(一四六九)|10東軍の山名是豊、赤松政秀ら...
|○文明九年&br;(一四七七)|この年赤松政則侍所所司に任ぜら...
|○文明一五年&br;(一四八三)|▽山名政豊、播磨攻略に進発す...
|○文明一七年&br;(一四八五)|3赤松政則、播磨光明寺に着陣...
|○文明一八年&br;(一四八六)|1赤松政則、山名政豊の兵を播...
|○長享一年&br;(一四八七)|3赤松政則、山名政豊の播磨坂本...
|○長享二年&br;(一四八八)|4赤松政則ふたたび山名政豊を坂...
**真弓峠の戦い
嘉吉の変で没落した赤松氏は雌伏三十年の後、政則の代に至っ...
十二月二十五日未明、雪の真弓峠(朝来郡生野町)に野営して...
分裂をひきおこした。
この段階では山名政豊が優位に立ち、播磨・備前・美作半国を...
**蔭木城の戦い
それから二年後の文明十七年、細川氏の援助を得た赤松政則は...
この段階を境に、山名氏の勢力は次第におとろえてくる。
**英賀・坂本の戦い
翌文明十八年には、&ruby(あが){英賀};(姫路市西南本の戦い...
送るなどで、山名方の結束が破れ、山名政豊の本拠とする坂本...
**両氏の黄昏
文明十五年から長享二年に至る六年間の攻防は、山名・赤松の...
なかで最も深刻な時期がこの六カ年であると言うことができよ...
(本稿を草するに当っては、岡山大学教授石田善人先生の「真...
#navi(寺報・書籍/山名赤松研究ノート/1号)
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*山名・赤松両氏の黄昏
RIGHT:事務局 ''吉川広昭''
**(はじめに)
この研究ノートに、どなたかが山名赤松両氏の衰運のことを書...
なお、私ごとながら、わが家系をたどれば、赤松氏八十八家の...
そんなわけで、盛者必衰を図に描いたような”山名赤松両氏の黄...
この稿をまとめるために山名赤松両氏の交渉の概略を知ろうと...
|○正平九年&br;(一五四)|12南党山名時氏、直冬を擁して、...
とあるのが山名赤松両氏接触の初見であり、
|○大永二年&br;(一五二二)|11但馬守護山名誠豊、赤松家臣の...
|○大永三年&br;(一五二三)|11山名誠豊、書写山の戦に破れ...
の記述が最後であった。その間実に百七十年、兵庫の南北に対...
中でも抗争が最高潮に達したのは、所謂「嘉吉の変」による両...
|○文明一年&br;(一四六九)|10東軍の山名是豊、赤松政秀ら...
|○文明九年&br;(一四七七)|この年赤松政則侍所所司に任ぜら...
|○文明一五年&br;(一四八三)|▽山名政豊、播磨攻略に進発す...
|○文明一七年&br;(一四八五)|3赤松政則、播磨光明寺に着陣...
|○文明一八年&br;(一四八六)|1赤松政則、山名政豊の兵を播...
|○長享一年&br;(一四八七)|3赤松政則、山名政豊の播磨坂本...
|○長享二年&br;(一四八八)|4赤松政則ふたたび山名政豊を坂...
**真弓峠の戦い
嘉吉の変で没落した赤松氏は雌伏三十年の後、政則の代に至っ...
十二月二十五日未明、雪の真弓峠(朝来郡生野町)に野営して...
分裂をひきおこした。
この段階では山名政豊が優位に立ち、播磨・備前・美作半国を...
**蔭木城の戦い
それから二年後の文明十七年、細川氏の援助を得た赤松政則は...
この段階を境に、山名氏の勢力は次第におとろえてくる。
**英賀・坂本の戦い
翌文明十八年には、&ruby(あが){英賀};(姫路市西南本の戦い...
送るなどで、山名方の結束が破れ、山名政豊の本拠とする坂本...
**両氏の黄昏
文明十五年から長享二年に至る六年間の攻防は、山名・赤松の...
なかで最も深刻な時期がこの六カ年であると言うことができよ...
(本稿を草するに当っては、岡山大学教授石田善人先生の「真...
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