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寺報・書籍/ものがたり山名氏八百年/1.風かおる-鎌倉山名氏
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東林山法雲寺のホームページ
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:寺報・書籍/ものがたり山名氏八百年/1.風かおる-鎌倉山名氏 をテンプレートにして作成
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TITLE:風かおる-鎌倉山名氏
#navi(寺報・書籍/ものがたり山名氏八百年)
*山名八幡宮と太祖義範
文治二年(一一八六)初夏 。
上野国(こうずけのくに)山名郷(現、群馬県高崎市木部町古八幡...
義範ときに五十二才、優に五尺八寸(一七五cm)はありましょ...
義範のやや左後方には次男の重国が、若々しい萌黄の直垂姿で...
・・・・・・
諸仏救世者(しょぶつぐぜいしゃ)
住於大神通(じゅうおだいじんずう)
以悦衆生故(いえつしゅうじようこ)
現無量神力(げんむりょうじんりき)
・・・・・・・
社僧が合誦(ごうじゅ)する法華経神力品(ほけきょうじんり...
「南無八幡大菩薩、源家累代尊霊もご照覧あれ。ここに末孫源...
拝殿左廂(ひさし)のむこうに見える山名城から若葉の香りを...
「此度(こたび)の大勝はひとえに判官殿の作戦によるもの…。...
たとえば我等は乗馬を太刀合わせ(一騎討ち)の場に用いるもの...
山鳩が鳴いている。 読経の重々しい声が続いている。 義範の...
*六人受領衆
「身共(自分)は年嵩(年長)なれば、矢戦や太刀打は若殿原にま...
ねに心が
けてまいりました。じやによって、花々しい首取り功名こそ無...
あって、従五位下(じゅうごいのげ)・伊豆守(いずのかみ)...
栄を賜いましたぞ。従五位と言えば殿上人(宮中にあがれる身分...
者のなかでは、これで、もう押しも押されもぬー軍の旗頭とな...
和ませ給え」
*清和源氏
源(みなもと)という姓は、もともと天皇の御子、親王や王が臣...
のです。臣下ではあっても天皇友と同じ血統であることから、...
がこめられています。平安時代にいくつかの源氏が生まれまし...
峨源氏、清和天皇の浦和源氏、村上天皇の村上源
氏などがありますが、中でも武士として有名なのが清和源氏で...
清和源氏は第五十六代清和天皇の第六皇子貞純(さだすみ)親...
う・六孫王・ろくそんのう)が初代で、以後多田源氏・河内源氏...
八幡太郎義家の頃めざましい軍功にかがやいたので、武士の棟...
した。
義家の次男義国は故あって東にくだり、新墾(にいはり・原野の...
と武士団を育てます。
その子義重と義康は、上野国新田荘(現、群馬県新田郡)と東に...
木県足利市)に分かれて武威を競います。
このことが後に新田義貞と足利尊氏の対決にまで発展するので...
山名義範は義重の長男ですから、新田氏勢力圏の西方を守るた...
の地として新しく一家を構えたのです。
「祝(はうり・神主)どの、これなるは伝天国(でんあまくに)...
でに当社神前に献じようと思うてな。都じゅうずいぶん探して...
長く尊席まぢかにお納めくだされい」
近習が捧げ持つ三宝から白鞘の一刀をとりあげた義範は、ムウ...
抜き放ちます。
瞬間、畑と雷光が走ったような凛冽(りんれつ)の気が拝殿い...
は二尺三寸(約七十cm)ほどでしょうか。
両刃(もろば)の剣は青黒いまでに澄んだ柾目肌(まさめはだ...
さにも似て白く煙る焼刃を直に走らせていて、見るものを恍惚
の境にさそう逸品です。
「ハハアッ、これがあの、噂に聞く天国でござりまするか。な...
にはこの上ない結構な一口、つつしんでお納めいたしまする」
「祝どの、このお社を建てたのは確か安元のころ(一一七五~七...
であったな。あれから十年、まだ整わぬ殿舎もいくつかある。...
建てて進ぜよう。社領も増やしてつかわそうぞ」
義範は頬の肉をゆるめて穏やかにこう言い添えました。
※山名八幡宮は、その後、山名町の現在地に移遷されました。天...
は、八百年たった今も、神々しい耀きを放っています。
*鎌倉山名氏
この文治から建久にかけての十数年、鎌倉幕府という日本の国...
がうまれたため、征夷大将軍の源頼朝や御台所政子の実亥であ...
関東の各地で実力を蓄えつつある御家人(将軍家譜代の家臣)た...
のえるために夜を日に継ぐ忙しさでした。義範もまた、幕府の...
老たるにふさわしい重責を担っております。
しかし、頼朝の没後、後継の頼友・実朝の二将軍が内紛で横死...
一族が独占してしまいます。
足利・新田・山名 などの源氏の名流は不遇な境涯を堪えしのぶ...
そして、この面々が再び天下に躍り出すのは、この後百数十年...
なりませんでした。
#navi(寺報・書籍/ものがたり山名氏八百年)
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*山名八幡宮と太祖義範
文治二年(一一八六)初夏 。
上野国(こうずけのくに)山名郷(現、群馬県高崎市木部町古八幡...
義範ときに五十二才、優に五尺八寸(一七五cm)はありましょ...
義範のやや左後方には次男の重国が、若々しい萌黄の直垂姿で...
・・・・・・
諸仏救世者(しょぶつぐぜいしゃ)
住於大神通(じゅうおだいじんずう)
以悦衆生故(いえつしゅうじようこ)
現無量神力(げんむりょうじんりき)
・・・・・・・
社僧が合誦(ごうじゅ)する法華経神力品(ほけきょうじんり...
「南無八幡大菩薩、源家累代尊霊もご照覧あれ。ここに末孫源...
拝殿左廂(ひさし)のむこうに見える山名城から若葉の香りを...
「此度(こたび)の大勝はひとえに判官殿の作戦によるもの…。...
たとえば我等は乗馬を太刀合わせ(一騎討ち)の場に用いるもの...
山鳩が鳴いている。 読経の重々しい声が続いている。 義範の...
*六人受領衆
「身共(自分)は年嵩(年長)なれば、矢戦や太刀打は若殿原にま...
ねに心が
けてまいりました。じやによって、花々しい首取り功名こそ無...
あって、従五位下(じゅうごいのげ)・伊豆守(いずのかみ)...
栄を賜いましたぞ。従五位と言えば殿上人(宮中にあがれる身分...
者のなかでは、これで、もう押しも押されもぬー軍の旗頭とな...
和ませ給え」
*清和源氏
源(みなもと)という姓は、もともと天皇の御子、親王や王が臣...
のです。臣下ではあっても天皇友と同じ血統であることから、...
がこめられています。平安時代にいくつかの源氏が生まれまし...
峨源氏、清和天皇の浦和源氏、村上天皇の村上源
氏などがありますが、中でも武士として有名なのが清和源氏で...
清和源氏は第五十六代清和天皇の第六皇子貞純(さだすみ)親...
う・六孫王・ろくそんのう)が初代で、以後多田源氏・河内源氏...
八幡太郎義家の頃めざましい軍功にかがやいたので、武士の棟...
した。
義家の次男義国は故あって東にくだり、新墾(にいはり・原野の...
と武士団を育てます。
その子義重と義康は、上野国新田荘(現、群馬県新田郡)と東に...
木県足利市)に分かれて武威を競います。
このことが後に新田義貞と足利尊氏の対決にまで発展するので...
山名義範は義重の長男ですから、新田氏勢力圏の西方を守るた...
の地として新しく一家を構えたのです。
「祝(はうり・神主)どの、これなるは伝天国(でんあまくに)...
でに当社神前に献じようと思うてな。都じゅうずいぶん探して...
長く尊席まぢかにお納めくだされい」
近習が捧げ持つ三宝から白鞘の一刀をとりあげた義範は、ムウ...
抜き放ちます。
瞬間、畑と雷光が走ったような凛冽(りんれつ)の気が拝殿い...
は二尺三寸(約七十cm)ほどでしょうか。
両刃(もろば)の剣は青黒いまでに澄んだ柾目肌(まさめはだ...
さにも似て白く煙る焼刃を直に走らせていて、見るものを恍惚
の境にさそう逸品です。
「ハハアッ、これがあの、噂に聞く天国でござりまするか。な...
にはこの上ない結構な一口、つつしんでお納めいたしまする」
「祝どの、このお社を建てたのは確か安元のころ(一一七五~七...
であったな。あれから十年、まだ整わぬ殿舎もいくつかある。...
建てて進ぜよう。社領も増やしてつかわそうぞ」
義範は頬の肉をゆるめて穏やかにこう言い添えました。
※山名八幡宮は、その後、山名町の現在地に移遷されました。天...
は、八百年たった今も、神々しい耀きを放っています。
*鎌倉山名氏
この文治から建久にかけての十数年、鎌倉幕府という日本の国...
がうまれたため、征夷大将軍の源頼朝や御台所政子の実亥であ...
関東の各地で実力を蓄えつつある御家人(将軍家譜代の家臣)た...
のえるために夜を日に継ぐ忙しさでした。義範もまた、幕府の...
老たるにふさわしい重責を担っております。
しかし、頼朝の没後、後継の頼友・実朝の二将軍が内紛で横死...
一族が独占してしまいます。
足利・新田・山名 などの源氏の名流は不遇な境涯を堪えしのぶ...
そして、この面々が再び天下に躍り出すのは、この後百数十年...
なりませんでした。
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