拝啓 山名赤松両氏供養塔建立問題に付き種々御配慮賜わり厚く御礼申し上げます。
拙宅は国侍にて赤松の幕下であり祖先より七代迄は太尾姓と云う事になって居りますが内容は全然分りません。酒井姫路藩公に仕える迄は榊原藩公に仕官して居りました。以上の状況ですので会友として寸志を寄附させて頂きます。甚だ延引且些少にて失礼ですが御了承願い上げます。
三月三日
平成二年五月二十六日。この日は赤松・山名両氏の歴史に新しく一頁を加える記念日となろうと思います。
顧みますと両氏は、村上源氏赤松氏と清和源氏山名氏、南北朝時代の南と北、共に室町幕府四職の雄、さらには本領播但の地が背中合わせなどという因縁から戦国百数十年もの間攻防に明け暮れました。武門の習とはいえ痛ましい限りです。
それが今日、かって先祖の面々も願わなくはなかったであろう和解提携という機運に遭い、ここに両軍慰霊の供養塔が建つのです。
ささやかな碑ではありますが、日本史千五百年、他に類例をみない快挙ではないでしょうか。どうかこれを縁として、ただに両氏末裔ばかりではなく、世の多くの方々に、人間の生きざまを思い入っていただきたいとねがうものであります。
山名赤松研究ノート1号PDF[19] 約5.3メガ
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